大通寺は 旧山陽道宿場町矢掛の北方1.5㎞ 吉備高原南麓 小林高峰山の谷間にある 開創は奈良期 天平15年(743)東大寺承天和尚(当時墾田知道僧役 後に三綱)来たり 高峰山頂に観音菩薩をまつり 大通寺を開創す 当時 奈良・京都の関係が深く 大本山興福寺六祖の一人 玄賓僧都 当地に来たり 医薬特に薬草の知識を伝授 また町内に倉見池の築造や用水路をつくり かかし そうずなどの技術を伝えたといわれている そして 弘仁9年(818)6月17日示寂し 小林地内に墓所かあり 玄賓庵跡とする伝承もあり この地は「僧都」という集落名になっている この地を清貧なる聖 玄賓のあとかたとして 良寛さんも訪れたろうといわれている 平安後期には不空羂索観音が安置された(銘文により康和元年(1099)造立) 鎌倉初期 後鳥羽院の勅願寺として 大通寺は現在地に移転し 室町期 月渓良掬和尚来たり 曹洞宗寺院となり 現在で33代となる 近世初期 毛利輝元が眼病となり平癒の祈願により 毛利家祈願所となった 宝暦9年(1759)には坐禅堂(二方単 来迎柱の古式禅堂)が建立 順次諸堂が建立された 寛政5年(1793)から20年かけて中西源兵衛築庭になる禅院式庭園がつくられ 岡山県指定名勝庭園となっている 伽藍は 仁王門 山門 本堂 開山堂が直線に並び 観音堂 坐禅堂 を回廊で結び 近世曹洞宗寺院の様式をよく伝えている 以上 概ね 岡山県良寛会著「良寛修行と円通寺」より引用させていただいた 大通寺を訪問したとき 庭園を見学させて頂いた外 玄賓僧都塚も案内いただいた