良寛さま ゆかり
柏崎市 宮川
宮川浜 峨眉山下橋杭漂着
新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2011-06-29
宮川浜 (良寛の晩年に 娥眉山下橋杭が 漂着)


宮川浜(娥眉山下橋杭漂着)
浸食を防ぐテトラポットがあるが
写真1

良寛詩碑「蛾眉山下橋杭に題す」の
中国へ向けての出立式を1990年に
行ったといわれる場所
当時空き地であったとのこと
写真2

案 内
良寛詩碑「題蛾眉山下橋杭」は 1990年7月16日 宮川浜(※)で 出立式を行い 中国の峨眉山麓に向けて旅立ったという
後年 同等詩碑が 柏崎市高柳町高尾の「じょんのび村」に建てられた

(※)
出立式当時は 空き地であったが 2011-6-29現在では バス停「龍泉寺前」海側の駐車場と事業所建物敷地となっている場所(柏崎市宮川2293より少し北寄りのバス停海側辺り)で 出立式が行われたという(写真2参照)

「峨眉山下橋杭に題す」は 鎖国ゆえ 唐土への渡航の夢を果たせなかった良寛が 大きな木柱(娥眉山下橋杭)漂着を伝え聞いて 遙かなる唐土「峨眉山」と李白「峨眉山月の歌」に思いを巡らせ詠んだもの

良寛の唐土渡航の夢を叶え かつ日中友好を願ってきた柳田聖山は 加藤僖一と共に 日中両国民の多大な賛同を得 橋杭が辿った海上・江上の道筋を逆に辿り 峨眉山麓清音閣の一郭に 1990年8月 良寛詩碑を建てた

場 所
柏崎市宮川2293より少し北寄りのバス停海側辺り

参 考
蛾眉山下橋杭に題す(姉妹サイト)では 「宮川浜」の周辺情報を含め 関連事項の詳細を豊富な写真を添えて紹介しています

柳田聖山著「良寛 漢詩でよむ生涯」 2000年 日本放送出版協会刊
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