良寛さま ゆかり
柏崎市 高柳町岡野町
峨眉山下橋杭
新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2011-06-29
峨眉山下橋杭(良寛の晩年 宮川浜に漂着)


娥眉山下橋杭(貞観園)
写真1

案 内
文政8年12月(1826年11月) 現在の新潟県柏崎市宮川浜に 大きな木柱(写真1)が漂着し 拾った漁民が乾かして薪にしようとしました 偶々 文字が読める好事家が通りかかって この木柱を見ると大きな五文字「娥眉山下橋」が刻まれていたので 漁民に薪を与え木柱を譲り受けました 良寛の晩年で乙子神社草庵居住末期に当たる頃です

刻された字の「橋」は 「木偏」が「冠」となった 通常使われない 異体字で 「峨」は「女偏」に「我」の字体でした

この木柱は椎谷藩主に献上されましたが 明治以降は現在の柏崎市高柳町にある村山家・貞観園が所蔵するところとなり 今日に至っています

鎖国ゆえ 唐土への渡航の夢を果たせなかった良寛は この木柱(橋杭)漂着を伝え聞いて 遙かなる唐土「峨眉山」と李白「峨眉山月の歌」に思いを巡らせ 「峨眉山下橋杭に題す」という漢詩を詠みました

場 所
柏崎市高柳町岡野町593 貞観園

参 考
蛾眉山下橋杭に題す(姉妹サイト)では 当「橋杭」の周辺情報を含め 関連事項の詳細を豊富な写真を添えて紹介しています

柳田聖山著「良寛 漢詩でよむ生涯」 2000年 日本放送出版協会刊
このページのトップへ戻る