良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
東与板 良寛詩歌碑公園
04-2 徳充院書簡碑「太郎兵衛様宛」
新設:2017-05-01
04-2E 徳充院書簡碑「太郎兵衛様宛」良寛書翰と徳充院書翰
撮影:2011-06-30

碑「良寛書翰と徳充院書翰」

本碑案内板(拡大)


左側の上写真で上下2つある書簡碑のうち 下段の徳充院書簡碑「太郎兵衛様宛」を紹介します

案内板
読み他)
良寛書翰と徳充院書翰 
  
*中山より
三輪 徳充院老 良寛
御病気如何
御坐候や随分
心身を整ふる
よふにあそは
さるへく候
油一とくり
たまハる可候
 十月八日

*太郎兵衛様 徳充院
御細書拝見いたし候
けふはむしあつさにて
なをたへかたく
御ふたり様いよいよ
御たっしゃに御座なされ候
由蒙り悦上候扨
きせる御返し下され
たしかにうけとり
上候私事何の
障なくおり候 以上
 廿六日

徳充院は 大坂屋三輪長高の娘きしである
山田杢左ェ衞門重富に嫁したが 夫の死語 有髪のまゝ徳充院と称した
その後 徳昌寺26世古範の弟子となり 稚髪して維馨尼と称し 大蔵経招来に尽力した

上の書翰の「中山」というのは 出雲崎町中山の西照坊のことである 良寛は 文化4年10月5日より こゝに住庵している

下の書翰は 徳充院が 父の山田太郎兵衛重記に宛てた自筆の唯一のものである

   建立  久保誠電気興業株式会社会長 久保誠吾

  昭和63年6月
                     長岡市

碑 陰
徳充院は 大坂屋三輪多仲長高の娘にしておきしと云う 山田杢左エ門重富に嫁す 夫の死後は徳充院と称した 後に徳昌寺26世古範和尚の徒となり 薙髪して維馨尼と称し 大蔵経請来に功あり 文政5年2月8日死去す
 平成元年6月吉日          久保誠吾建之

補 足
書簡宛名の太郎兵衛は 嫁ぎ先である山田杢左エ門の父・山田太郎兵衛重記とのこと

場 所
新潟県長岡市与板町東与板 いしぶみの里・良寛詩歌碑公園
筆 者
維馨尼(徳充院)
建 碑
昭和63年(1988)6月
建碑者
久保誠電気興業株式会社会長 久保誠吾
参 考
「いしぶみ良寛」続-46-096_097