新設:2017-05-01
更新:2023-02-19
撮影:2011-05-17
西照坊
- 案内板
(出雲崎町)
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西照坊
「伝説の越後・佐渡」と言う本に 西照坊のことが書いてある
子供たちと遊び暮らしているお坊さん 良寛が書いてある かって西照坊は西越の人にしか知られていなかった 良寛さんがこの坊を知ったのは 光照寺で修行をしていた頃と思われる
焚き物を拾い 山菜を取るために山を歩いていて知り この坊を利用したのではないかと思われる
西照坊は 現在の中山公会堂所在地に 安永の初め 妙喜尼が開基した小堂である 良寛は 光照寺時代に既にこの坊と係わりあった
寛政8年帰国した良寛はここで争いの渦中にあった生家の情報を得た 間もなく 郷本に移ったが しばし 西照坊を訪れた 文化8年生家橘屋が没落した後は 彼の脚も遠くなった
出雲崎町
- 案内板
(環境庁・
新潟県)
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中部北陸自然歩道 西照坊
~日本海を望む景観と妻入りの街並み~
西照坊は 今から200年以上前に 中山の百姓総代南波家が妙喜尼のために建てた尼堂である 良寛が若き日の修業時代に しばしば この西照坊に妙喜尼を訪れ 法話を交わしたものと思われる
良寛は諸国行脚から帰郷してから 生家橘屋が争いの渦中の時 心配の余りに仮住まいして見守ったとされる 橘屋の没落後は 彼の脚も遠のいたようだ
現在の建物は 昭和54年に再建したものである
環境庁・新潟県
- 場 所
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新潟県三島郡出雲崎町中山598甲
- 参 考
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西照坊関係年表扁額
- 補 足
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バス停「小竹」で降り 西照坊に向かって独りで歩いていたら 地元の佐藤様から「どこへ行くの」と声を掛けられたので 「西照坊を見てから良寛の古道を経て良寛記念館に行く」と答えたら 自動車で追って来られて 西照坊の内部を見学させて頂いた ご厚意に改めて感謝しお礼を申し上げたい
佐藤様の説明によると 昭和36年8月の集中豪雨による土石流で流され倒壊する前の西照坊は 現在地よりも奥にあったが 昭和55年の再々建に当たり手前の現在地を選び 五合庵に似せた建物にしたとのこと
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