案 内 良寛紀行文・句碑「須磨紀行・すまてらの・よしやねむ」は 大本山須磨寺の仁王門・放生池・龍華橋の手前左側にある須磨寺塔頭正覚院が建てたもの 須磨寺境内には 芭蕉や子規など多数の句碑・歌碑・文学碑が建っている 良寛紀行文碑「須磨紀行」は 須磨寺サイト「石碑めぐり」では 句碑「須磨紀行」良寛として2番目に紹介されている 写真1の右側黒御影は 具体的な顔・手足の無い抽象表現の良寛像で この碑の前に立つと自分の顔が写り それが良寛の姿なのだという 台石の上には 手鞠・鉢の子・それに七人の子供が 丸い石ころで表現されているという 碑面の「須磨紀行」は 少し手が加えられているようだが 良寛の次の2つ句が含まれ 良寛碑「須磨紀行」として 通常扱われるようだ すまてらの むかしをとへば 山桜 よしやねむ すまのうらわの なみまくら 碑 面 すまてらの昔をとへば 山桜 沙門良寛書 <注>筆:良寛(集字) すまてらの むかしをとへば 山桜 沙門良寛書 あなたこなたとするうちに 日くれければ 宿をもとむれども ひとりものに たやすくかすへきにしもあらねは おとしつけて よしやねむ すまのうらわの なみまくら とすさみて つなじき天神のもりを たづねてやどる 里を去る こと 一丁ばかり 松の林の中にあり 春のよの やみはあやなし 梅のはな いろこそ見えね をり/\は よるのあらしに さそわれて すみのころもに うつるまで ほんのり にほふ 石どうろうの火にきらめき うちよするなみのこゑも つね よりはしづかにきこゆ 板しきのうへに 衣かたしきて しばしまとろむかとすれバ 雲の上 人とおほしきか うすぎぬに こきさしぬきして 紅梅の一枝をもちて いづこともなくきたりたまふ こよひは花もよし しづかにものが たりせんとて うちよりぬるに よるのことなれば けはひもさだかに みえねども ひさしくちぎりし人のごとくにおもひ むかしいま こゝ ろのくま/\を かたりあかすかとすれば ゆめはさめぬ ありあけのつきに 浦風の蕭々たるをきくのみ 手を折て うちか ぞふれば む月廿四日のよにてなんありける (良寛さまの須磨紀行より) 昭和六十二年三月三日 大本山須磨寺塔頭正覚院 撰文 谷川敏朗 書 加藤僖一 制作 速水史朗 建立 三浦眞厳 場 所 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4-2-8 (真言宗須磨寺派)大本山須磨寺塔頭 正覚院境内 (良寛碑は 正覚院の道路真向いにある) 筆 者 冒頭の俳句「すまてらの」: 良寛(集字)紀行文 : 加藤僖一 撰 文 谷川敏朗 制作者 速水史朗 建 碑 1987年3月3日 建碑者 大本山須磨寺塔頭正覚院 住職三浦眞厳 副住職三浦眞厳 参 考 「定本良寛全集」3-俳句-022 3-俳句-097 3-文集-すまでらの 「いしぶみ良寛」続-82-168_169 岡元勝美著「良寛争香」P21-23, 34 綱敷天満宮