新設:2017-05-01
更新:2023-02-19
撮影:2011-06-29
孝婦由利女の碑
- 案内板1
(北国街道)
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孝婦由利女の碑(善勝寺境内下)
由利は隣村の村田郷の農家の生まれである 19才で当町尼瀬の出稼ぎ大工作太夫の妻となったが 夫の母は中風を患って寝たきりの状態であった 夫は常に留守であり
やがて子供を2人もうけたが 生活は容易でなかった
その中で姑に並ならぬ孝養を尽くして13年間が過ぎた 領主牧野侯はこれを聞き褒美として米5俵をくだされたうえ 幕府に上申した 徳川将軍は感心され銀20枚を賜ると共に
林大学頭に孝碑の伝記を撰文することを命じ全国に知らしめた
由利の死後 白川楽翁公に碑文の題字を特筆させた全文が刻されている
地元では毎年9月1日に孝婦の慰霊祭を行っている
出雲崎町
- 案内板2
(碑左前方)
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越の歴史自然ルート ゆり小伝
ゆりは 隣村和島村の農家に生まれた 長じて出雲崎町尼瀬の出稼大工 作太夫の妻となったが よく婦道を守り 病弱の姑によく仕えて至孝であった そのことが人々に伝わり 寛保2年(1742)徳川将軍家より その行状をほめられたのである
毎年9月1日に由利女の霊を慰める読経が捧げられ 碑前広場で出雲崎おけさ踊りが舞い納められる
新潟県・出雲崎町
- 場 所
- 新潟県三島郡出雲崎町尼瀬1261(諏訪本町)善勝寺境内下
- 撰 文
- 林大学頭
- 筆 者
- 白川楽翁公(題字:旌孝)
- 建 碑
- 文政11年(1828)
- 参 考
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良寛詩碑「夏置涼阡自耨田」(読孝婦碑)
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