良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
石井町60乙
良寛堂
新設:2017-05-01
良寛堂
撮影:2011-05-17

良寛堂


建立経緯
 概要
良寛堂の簡単な案内は 別ページの碑「良寛和尚誕生之地」に掲載の 新潟県と出雲崎町の両教育委員会が 案内板に記載した内容をご覧下さい

建立経緯
 詳細
良寛堂(当初計画は大愚山良寛寺)建設に当り 耐雪佐藤吉太郎と安田靫彦は 良寛の人格を表現すべく簡素なものを造りたいと願いつつも 日本海に面した地故に 波浪や火災に備えることにも配慮した

良寛堂建立の経緯を 詳しく知りたい方は 良寛堂建立90周年記念として出版された 次の書籍を ご覧下さい

 反町タカ子著「良寛堂 建立の記録 佐藤耐雪の「用留」を読む」
 2012年 考古堂書店刊

出雲崎の郷土史家 耐雪 佐藤吉太郎が 良寛の生誕地を後世に遺す切なる思いから 大正4年(1915)に発願して 良寛堂建立に至る そのつぶさな経緯を「用留」に記録したものを 紹介しています
著者は耐雪の孫にあたる方です

……同書の目次は次のとおりです…… 

 グラビア 図版 写真で見る良寛堂建立の記録
 「良寛堂建立九十周年記念式典」にあたり祝辞
                 全国良寛会会長 長谷川義明
 刊行にによせて    財団法人良寛記念館理事長 高居 覚阿
 はじめに                    反町タカ子
第一部  佐藤耐雪の「用留」を読む
 第一章 <大正四年>  良寛堂建立を発願
 第二章 <大正六年>  良寛堂建立計画具体化
 第三章 <大正七年>  良寛堂建立の資金獲保に奔走
 第四章 <大正八年>  良寛堂建立敷地の整備進む
 第五章 <大正九年>  良寛堂設計図の到来
 第六章 <大正十年>  良寛堂試堂が完成
 第七章 <大正十一年> 良寛堂 上棟式から建立式へ
第二部  佐藤耐雪の「用留」抜粋
第三部  佐藤耐雪「用留」の解説
       ―― 登場人物・建築用語など
第四部  良寛堂建立 資料編
 一、 大愚山良寛寺造営趣意書 全文(大正六年)
 二、 良寛研究文献 切抜 第五巻
 三、 大愚山良寛寺造営趣意書 草案 表紙と最終頁
              (近藤潤治郎・大正四年)
 四、 良寛寺造営 寄附芳名 第一回報告(大正七年三月)
 五、「良寛寺造営趣意書」とともに、喜捨を依頼する際に持参した挨拶状
             (相馬御風・大正七年七月)
           続(佐藤吉太郎・大正七年七月)
 六、 墨跡書画の寄贈を約束された諸家への督促の書簡(大正七年)
 七、 良寛寺造営後援画会(大正七年七月)
 八、 越後出雲崎 良寛寺 碑堂(大正九年)
 九、 良寛寺造営工事 第一期報告書・第二期報告書(大正九年)
 十、 良寛寺建立寄付金 芳名録(大正六年~十一年)
 十一、 良寛寺造営後援画会 参加者(大正八年・十一年)
 十二、 佐藤耐雪宛 安田靫彦書簡―部分―(大正十一年三月二十四日)
 十三、 建築工事請負契約書(大正十一年四月十一日) 
 十四、 良寛堂建造設計書<新井建築塲製作>(大正十一年) 
 十五、 良寛堂新築工事 諸材料明細書<新井建築塲製作>(大正十一年)
 十六、 上棟式用品目録(大正十一年七月)
 十七、 良寛堂竣工式と遺墨展の案内〔はがき〕(大正十一年九月一日)
 十八、 良寛堂竣工式と遺墨展の案内状・御注意書(大正十一年九月一日)
 十九、 良寛堂建立報告書 佐藤吉太郎(大正十一年九月十六日)
 二十、 良寛堂建立式祭文 權田雷斧(大正十一年九月十六日)
      〔解読文〕出雲崎町如法寺 安達俊堂
 二十一、 良寛堂建立式 加藤直重町長の答辞(大正十一年九月十六日)
 二十二、 良寛禅師遺墨展覧会 出品目録 表紙
                   (大正十一年九月十六、十七日)
 二十三、 『中越新報』(大正十一年九月十八日付)
 二十四、 『新潟新聞』「良寛堂参詣」上・中・下
               (大正十一年九月十八、十九、二十日付)
 二十五、 『出雲崎の史的趣味』の表紙・裏表紙と、本文中「良寛堂」の
                   章と挿入写真(大正十一年九月)
 二十六、 越後国三島郡出雲崎・尼瀬分間絵図(大正十一年九月)

【耐雪 佐藤吉太郎 年譜】
    ご協力をいただいた方々
    主な参考文献
 おわりに                    反町タカ子
 
 
場 所
新潟県三島郡出雲崎町石井町60乙 良寛生誕地橘屋跡
建 立
大正11年(1922)9月16日
計 画
佐藤吉太郎
設 計
安田靫彦
建立者
著名な各大家を含む全国多数の良寛敬慕者の喜捨(寄附)と労力によって 敷地取得と併せて建立され 後に 土地建物共に出雲崎町に寄附された
参 考