新設:2017-05-01
更新:2023-02-13
撮影:2011-06-29
おけさ源流の碑
- 案内板
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写真右手前に設置されたた案内板に 次のとおり記されている
おけさ源流の碑
奥州丸山の領主佐藤庄司元治の子 継信 忠信兄弟は 源義経の忠臣として 平家討伐に活躍した 兄継信は屋島の合戦で義経の身代りに 弟忠信は京都で源頼朝に追われた義経をかばい それぞれ戦死した
兄弟の母「音羽の前」は せめて戦場の跡を訪ねようと奥州を旅立ち ようやく出雲崎にたどりついたが 先が長い旅を断念し 大字尼瀬の釈迦堂(現在の善勝寺の前身)で尼僧となり 2人の菩提を弔ったという
今に伝わる出雲崎のおけさは 建久元年(1190)に 義経のために立派な最後を遂げた子供達の詳報を聞いた音羽の前が 嬉しさのあまり 尼僧たちと袈裟法衣のまま 歌い踊ったのが始まりで 「袈裟」が「けさ」 「おけさ」となり これが「おけさ」の源流となったと伝えられている
この「おけさ源流の碑」は 昭和59年10月27日に「おけさ源流の地記念碑を建立する会」により建立されたものである
出雲崎町
- 場 所
- 新潟県三島郡出雲崎町石井町592
- 建 碑
- 昭和59年(1984)10月27日
- 建碑者
- おけさ源流の地記念碑を建立する会
- 参 考
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碑「おけさ発祥之地」
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