良寛さま ゆかり
地蔵堂本町 2-6-25辺り
西川(狭川)に架かる「狭橋」界隈
新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2017-04-08
西川(狭川)に架かる「狭橋」界隈


狭橋西詰南親柱に「狭橋」とある
撮影:2017-04-08

狭橋西詰北親柱に
「昭和参拾参年参月竣工」とある
撮影:2017-04-08

「狭橋」上から北側
遠く弥彦山が望める
撮影:2017-04-08

「狭橋」上から南側
撮影:2017-04-08

狭 橋
燕市大河津で信濃川大河津分水路から分派した西川(狭川)に昭和33年3月に架けられた「狭橋」が 分水旭町~分水大武辺りにある

良寬が大森子陽の三峰館(狭川塾)で学んだ時代の西川(狭川)が 現在と同じ辺りを流れていたと仮定して 左に掲げた4枚の写真と次欄に掲げる良寛が「狭川・狭河」を詠込んだ漢詩を参考に 思い巡らせると 狭川塾(三峰館)は 狭川・狭河(西川)にもっと近いところ(現在の「狭橋」界隈)にあったとした方が より理解しやすいと思われる

良寛詩1
訪子陽先生墓    子陽先生の墓を訪ふ
古墓何処是     古墓 何れの処か是れな
春日草戔戔     春日 草戔戔たり
伊昔狭河側     伊れ 昔 狭河の側
慕子苦往還     子を慕ひて苦に往還せり
旧友漸零落     旧友 漸く零落し
市朝幾変遷     市朝幾ど変遷す
一世真如夢     一世真に夢の如し
回首三十年     首を回らせば三十年

良寛詩2
良寛詩3
聞之則物故 二首  之則が物故を聞く 二首
人生百年内     人生百年の内
汎若中流船     汎として中流の船の若し
有縁非無因     縁有り 因無きに非ず
誰置心其辺     誰か心を其の辺に置ける
昔与二三子     昔 二三子と
翺翔狭河間     狭河の間を翺翔せり
以文恒会友     文を以て恒に友に会し
優游云極年     優游 云に年を極む
何況吾与子     何ぞ況や吾と子とをや
嘗遊先生門     嘗て先生の門に遊ぶ
行則並車騎     行くには則ち車騎を並べ
止則同茵莚     止れば則ち茵莚を同じうす
(以下 34句省略)

今日出城下     今日 城下に出て
千門乞食之     千門 乞食して之く
路逢有識人     路に有識の人に逢いしに
道子黄泉帰     子 黄泉に帰すると道ふ
忽聞只如夢     忽ち聞いて只だ夢の如く
思定涙沾衣     思ひ定まりて涙衣を沾す
与子自少小     子とは少小自り
往還狭河陲     狭河の陲を往還す
不啻同門好     啻に同門の好のみならず
共有烟霞期     共に烟霞の期有り
家郷分飛後     家郷 分飛の後
消息両夷微     消息 両つながら夷微す
(以下 6句省略)

場 所
新潟県燕市分水旭町2丁目と分水旭町3丁目・分水大武4丁目の間を流れる西川に架かる「狭橋」界隈

参 考
大森子陽私塾・三峰館(狭川塾)跡
「定本良寛全集」1-115 1-375 1-376
西川・新川立体交差(土木学会関東支部新潟会の「にいがた土木構造物めぐり第35回」)

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