良寛さま ゆかり
地蔵堂本町 2-6-25辺り
大森子陽私塾・三峰館(狭川塾)跡
新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2011-07-01ほか
大森子陽私塾・三峰館(狭川塾)跡


右から2軒目(外壁濃緑色)建物が
塚田薬局
撮影:2011-07-01
写真1

説明は右「補足」欄に記載
撮影:2017-04-08
写真2

案 内
本町通りを地蔵堂願王閣に向かって 左に第四銀行がある交差点(地蔵堂本町)から やや願王閣寄り右側のところにある塚田薬局辺りに 三峰館(狭川塾)があったのではといわれている

案内板
良寬も学んだ 大森子陽の「三峰館」跡
大森子陽(元文3年 1738~寛政3年 1791)が 明和7年から安永6年の間(1770~1777) この場所で学塾「三峰館」を開いて子弟を教育した

良寬(幼名栄蔵 元服して文孝)も13歳から18歳までの6年間 ここで勉学にいそしんだ
大森子陽は後に「北越4大儒」の1人と称えられた儒学者で この後 鶴岡(山形県)に移住した
<注>ルビは省略

補 足
写真2の右から2軒目の建物が 塚田薬局であったが 2017年4月8日の再訪時には 外壁の色が変わり1階は工事中らしかった
上欄に紹介した「案内板」は 右から1軒目と2軒目の間にある街灯ポールに 良寛句「たくほどは」と共に掲げられていた

場 所
新潟県燕市地蔵堂本町2-6-25 塚田薬局辺り

参 考
立花和平・齋藤達也著「良寛との旅〔探訪ガイド〕」P117 考古堂書店刊
分水商工会サイトまち歩きマップ - 分水駅周辺
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蛇 足
良寬が学んだ三峰館(狭川塾)の通説による位置(跡)は 下宿先の中村家とは極めて近い
根拠は全くないが 狭川塾(三峰館)は 西川(狭川)に架かる「狭橋」界隈にあったのではとの思いを巡らせたくなる

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