良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
上桐集落小黒邸庭上
良寛歌碑「あしびきのくろさかやまの」
新設:2017-05-01
良寛歌碑「あしびきのくろさかやまの」
撮影:2017-04-7ほか

碑稿(小黒家所蔵)
撮影:2017-04-07

上桐集落センター
撮影:2011-05-20


歌碑「あしびきのくろさかやまの」
撮影:2017-04-07


歌碑「あしびきのくろさかやまの」拡大
撮影:2017-04-07


碑 面
阿之悲幾能 久呂散可也萬能 古能末与里
毛里久留都幾能 閑気能左也計散

読 み
あしびきの くろさかやまの このまより
もりくるつきの かげのさやけさ

(黒坂山の麓に宿りて)
 あしびきの 黒坂山の 木の間より
 洩りくる月の 影のさやけさ

通 釈
(黒坂山の麓に泊まって)
黒坂山の麓に宿をとって眺めると 山の木々の間からもれてくる月の光の 何と明るく澄んでいることよ

碑 側
昭和四十五年夏 八十七叟 赳建之
場 所
新潟県長岡市上桐 2396 小黒知也邸庭上
筆 者
良寛(良寛自筆歌集「布留散東 ふるさと」)
建 碑
昭和45年(1970)夏
小黒赳郎(おぐろたけしろう)(1884-1975)享年92才 教育功労者
良寛の墓がある隆泉寺本堂前庭に建つ良寛像のモデル(1963年)であり 母親(コト)は 良寛の外護者であった渡部の阿部定珍の曾孫であるという
良寛と親交があった小黒小兵衛(こへえ)は 赳郎(たけしろう)の4代前に当たり 現当主(知也)の6代前当たる
小兵衛(こへえ) - (よう)左エ(ざえ)(もん)- (まさ)()(ろう)- (こう)()(ろう)- (たけし)(ろう) - ()一郎(いちろう) - (とも)()

建碑経緯
建碑者・小黒赳郎(おぐろたけしろう)は 小学校を卒業後2年間 母親の実家である渡部の阿部家に預けられ 伯父・阿部固堂翁から漢学の指導を受けたとき 在りし日の良寛のことを数多く聞いた
吉田行雄著「良寛碑をたずねて」P150に 次のとおり記されている
「今日伝えられている良寬様の歌は1270首以上というが、上桐(黒坂山の山麓の部落)で詠まれた歌は、僅か2首しか伝えられていない。この2首にまつわる話は、私が若い頃、祖母や両親などから聞かされていたが、今は、その語り草を知っている古老も殆ど亡くなり、私だけになった。私の家に伝わる良寬様のお話や月見の歌を思い出すたびに、その歌碑を建てて朝夕拝して良寬様を偲び、遺跡を後世に残したいと念じていた。来年は米寿の年を迎えるので、その記念にもと考え、断然建立を決意し、ささやかな碑ではあるが、かつてからの私の宿望もようやくここに果たし得た次第である」
(昭和45年11月)

補 足
本サイト管理人が2011-05-20に上桐集落を訪ねたときは 当該歌碑に辿り着くことができなかったので 2017-04-07再訪時には 予め小黒家に電話で歌碑拝観の許可を得た折に 桐原駅から約2㎞を歩いて訪ねる旨伝えた
桐原駅から500mほど歩いたところで ご多用の身であるにも拘わらず 小黒知也現小黒家当主が自動車で迎えに来て下さり 自宅にある当該歌碑の外 前回拝観漏れとなっていた良寛ゆかりの処などを案内して下さった ご好意にただただ感謝あるのみ

参 考
「定本良寛全集」2-0005
「いしぶみ良寛」正-30-P116_119
吉田行雄著「良寛碑をたずねて」P149_151、287