墓碑銘 当寺十五世大忍魯仙大和尚 場 所 埼玉県深谷市矢島774 (曹洞宗)覚樹山慶福寺境内 大忍魯仙和尚の墓碑は 慶福寺本堂左脇一郭にある 歴代和尚の墓のうち 後列左端(写真2のとおり) 過去帳 覚樹山慶福寺山門前に設置された案内板に 同寺過去帳に次の通り記されているとの説明がある 越後国出雲崎在川西村崇禅寺寮にて 城州宇治興聖寺霊潭和尚法嗣也 文化8年未年3月9日寂 <注> 上掲説明文中に「崇禅寺」とあるのは 「雙善寺」の誤りと思われる 大忍詩 大忍禅師著「無礙集」に載る「懐良寛道人」を 渡辺秀英書「いしぶみ良寛 正編(復刻版)」から 転載させていただく 詩 文 懐良寛道人 良寛老禅師 如愚又如癡 心身総脱落 何物又可疑 不住多利境 不遊是非岐 朝向何処往 夕向何処帰 任他世人誉 任他世人欺 師曾到吾盧 告吾微妙辞 吾亦久抱病 因師既得医 其恩実無限 何以又報之 読下し 良寛道人を懐(おも)う 良寛 老禅師 愚なるが如く 又癡(ち)なるが如し 心身 総べて 脱落し 何物か 又 疑うべき 多利の境に住(とど)まらず 是非の岐(ちまた)に遊ばず 朝(あした)に 何れの処に向ってか往き 夕(ゆうべ)に 何れの処に向ってか帰る 他(か)の 世人(せじん)の誉(ほ)むるに任せ 他(か)の 世人の欺くに任す 師 曾(か)って 吾が盧(ろ)に到り 吾に 微妙の辞を告ぐ 吾もまた 久しく病を抱き 師によりて 既に医するを得たり 其の恩 実に 限りなく 何を以て 又 これに報いん 参 考 「いしぶみ良寛」正-77-P272_275 大忍魯仙修行の寺・佛徳山興聖寺(道元禅師初開道場) 良寛詩碑「大忍俊利士」 良寛詩碑「吟苦信如抄秋虫」~大忍魯仙を偲ぶ~br>