良寛さま ゆかり
深谷市矢島 慶福寺境内
大忍魯仙和尚墓碑と大忍詩「憶良寛道人」
新設:2017-05-01
更新:2023-02-13
撮影:2016-05-16
大忍魯仙和尚墓碑と大忍詩「憶良寛道人」


大忍魯仙和尚の墓碑
写真1

左端が大忍魯仙和尚の墓碑
歴代和尚墓域内の後列左端
写真2

山門(奥に本堂)
写真3

墓碑銘
当寺十五世大忍魯仙大和尚

場 所
埼玉県深谷市矢島774 (曹洞宗)覚樹山慶福寺境内
大忍魯仙和尚の墓碑は 慶福寺本堂左脇一郭にある 歴代和尚の墓のうち 後列左端(写真2のとおり)

過去帳
覚樹山慶福寺山門前に設置された案内板に 同寺過去帳に次の通り記されているとの説明がある

越後国出雲崎在川西村崇禅寺寮にて 城州宇治興聖寺霊潭和尚法嗣也 文化8年未年3月9日寂
<注>
上掲説明文中に「崇禅寺」とあるのは 「雙善寺」の誤りと思われる


大忍詩
大忍禅師著「無礙集」に載る「懐良寛道人」を
渡辺秀英書「いしぶみ良寛 正編(復刻版)」から 転載させていただく

詩 文
懐良寛道人
良寛老禅師 如愚又如癡
心身総脱落 何物又可疑
不住多利境 不遊是非岐
朝向何処往 夕向何処帰
任他世人誉 任他世人欺
師曾到吾盧 告吾微妙辞
吾亦久抱病 因師既得医
其恩実無限 何以又報之

読下し
良寛道人を懐(おも)
良寛 老禅師
愚なるが如く 又癡(ち)なるが如し
心身 総べて 脱落し
何物か 又 疑うべき
多利の境に住(とど)まらず
是非の岐(ちまた)に遊ばず
(あした)に 何れの処に向ってか往き
(ゆうべ)に 何れの処に向ってか帰る
(か)の 世人(せじん)の誉(ほ)むるに任せ
(か)の 世人の欺くに任す
師 曾(か)って 吾が盧(ろ)に到り
吾に 微妙の辞を告ぐ
吾もまた 久しく病を抱き
師によりて 既に医するを得たり
其の恩 実に 限りなく
何を以て 又 これに報いん

参 考
「いしぶみ良寛」正-77-P272_275

大忍魯仙修行の寺・佛徳山興聖寺(道元禅師初開道場)

良寛詩碑「大忍俊利士」

良寛詩碑「吟苦信如抄秋虫」~大忍魯仙を偲ぶ~br>
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