新設:2017-05-01
更新:2023-02-01
撮影:2013-05-17
霊巌山円蔵寺(福満虚空藏堂)本堂(菊光堂)仁王門(表門)
- 案 内
- 良寛が ここ円蔵寺を訪ねたのは文化14年(1817)秋で 良寛60歳頃と推定されており 円蔵寺で泊っている その折に 良寛が詠んだ五言30句詩と五言34句詩が遺っている
このうち 五言30句詩の碑が 柳津(やないづ)つきみが丘町民センター前庭に 良寛像と並んで建っており 別ページ 良寛詩碑「向夕投香閣」にて紹介する
なお 円蔵寺は 文政元年(1818)6月に全山焼失したとのことで 良寛が訪ねたときの堂宇は 現在のものとは異なるという
円蔵寺本堂(菊光堂)前に 設置の案内板に記されている 円蔵寺の御縁起は 次のとおり
- 御縁起
(案内板)
- 仰々霊巌山圓蔵寺は 臨済宗妙心寺派に属し 東北屈指の巨刹にして 大同2年(807)徳一大師の開創する処なり
本尊福満虚空藏大菩薩は 弘法大師霊木を以って刻み 日本三所の一
(能満虚空蔵尊・千葉県安房郡天津小湊町・千光山清澄寺)
(大満虚空蔵尊・茨城県那珂郡東海村・村松山日光寺)
にして 霊験の著しさ 他に比すべきなし
故に 往昔 天下の闔家(こうけ 将軍家)歴代の領主 深く菩薩を尊信し 幾多の金銀 財宝 荘田 山林等を寄進し 満民 和楽 福徳 円満 如意 満足を祈誓し 厚く当寺を保護せられる
現堂宇は 菊光堂(総欅造り)・(建築様式は 本堂造り入母屋 重層 軒 唐破風 向拝付 建築)と称し 文政13年(1830)会津藩主松平家 特別の保護に依り再建せらるるものなり
云々
- 場 所
- 福島県河沼郡柳津町柳津寺家町甲176 霊巌山圓蔵寺(福満虚空藏尊)
- 参 考
- 会津六詣出サイト「柳津町 福満虚空藏尊圓藏寺」
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