良寛さま ゆかり
洞松寺境内
洞松寺の縁起・二ノ門・山門・本堂
新設:2017-05-01
更新:2023-02-13
【備中良寛さん こころの寺 第3番】
撮影:2014-05-18
洞松寺の縁起・二ノ門・山門・本堂

二ノ門
写真1
 
山門
写真2
本堂
写真3
所在地 岡山県矢掛町横谷3796
山号寺名 舟木山 洞松寺
寿永3年(1184)改称
(旧)舟木山洞松司院
宗 派 曹洞宗
本 尊 宝冠釈迦如来
開 創 天智天皇の時代
中興開創 応永19年(1412)
中興開山 師恕仲天誾禅師
(実質)喜山性讃禅師
中興開基 掛城主庄駿河守
電 話 0866-82-0087

二ノ門と山門との間から伽藍を望む
二ノ門は山門の約250m手前にある
洞松寺は 矢掛町の南端 遙照山の北麓 緑に包まれた舟木谷にある

古代天智天皇の行幸の時 南都興福寺の光照菩薩をまつり仏閣を建立し 舟木山洞松司院として開創され 後に和気氏により七堂伽藍が整備され 36坊を持つに至った 寿永3年(1184)安徳天皇臨幸の時 船材を献じ 洞松司院を洞松寺と称すと伝えられている

中世期 寺運衰退していたが 室町期 応永19年(1412)喜山性讃禅師来たり 猿掛城主庄駿河守の帰依をうけ 洞松寺を中興開山し 師恕仲天誾禅師を勧請開山として 自らは2世となった 布教数年にして 四方より修行僧集まり大道場となった

5世崇芝性岱和尚から輪番住持制(末山 門葉の住職が順次交代し 門葉の分裂を避け 本寺の発展を期す制度)となり 江戸時代明暦年間(1655~58)まで約200年間 80世に及んでいる

この間 多くの門葉寺院が開創され 直末42ヶ寺 門葉寺院1000ヶ寺となり 喜山派頭寺院となっている

伽藍は 二ノ門 山門 本堂 開山堂を直線に配し 庫裡 禅堂 接賓がとりかこみ 一円相を描く 近世地方禅院の特色を残している

第14世賞山覚了和尚の葬儀は天明2年(1782)7月10日に行われ 多くの随喜僧の中に「大愚上座」の記事があり 良寛は捥頭(わんじゅう)や竹箆(しっぺい)の役割担当となっている 若き修業時代の良寛の行動する姿を想像することができる

以上 岡山県良寛会著「良寛修行と円通寺」より引用させていただいた


洞松寺は JR鴨方駅から長川寺と遙照山トンネル経由で 歩いて訪ねた 晴天の5月半ばの日差しは強く疲れたが 洞松寺の趣のある二ノ門が迎えてくれて 癒やされた

洞松寺を訪問したとき 外国人修行僧が多数おられた 生憎 昼食時にかかっていたが 本堂内部など見学させて頂き 次の訪問先・大通寺までの道順の助言も受けた

写真1の「二ノ門」の左柱に「洞松寺専門僧堂」 右柱に「山陽之古禅窟」と記され 「二ノ門」の左側手前の石柱に「不許葷酒入山門」 左側一番手前の石柱に「下馬」と刻されていた

洞松寺24世慧海月船老師は詩人として梅花流詠讃歌の創立に参加 30余の作詩をした
また 円通寺の覚樹庵跡に建つ良寛歌碑「形見とて」の碑文を書している

参考サイト:山形の「洞松寺住職ブログ」
このページのトップへ戻る