新設:2017-05-01
更新:2023-02-13
撮影:2014-05-18
長川寺の縁起・山門・本堂
所在地 |
浅口市鴨方町鴨方387 |
山号寺名 |
清瀧山 長川寺 |
宗 派 |
曹洞宗 |
本 尊 |
釈迦如来 |
開 創 |
1300年代 |
開 基 |
近江守西山宗久 |
再開創 |
応永14年(1407) |
再開基 |
備中守護細川満国 |
開 山
| 英巌章傑禅師 応永19年(1412) |
電 話 |
0865-44-2405 |
長川寺標柱 (境内は広い)
長川寺は JR鴨方駅の北方約2㎞にある
長川寺は 源三位頼政の裔 金光占見西山城主 近江守西山源五郎宗久「正眼院殿華庭公大居士 正中2年(1325)歿」を開基とする古刹である 禅門の修行道場としての偉容を整えたのは応永19年(1412)英巌章傑禅師を開山と拝請してからである
備中守護細川満国が 初代鴨山城主として君臨したのが応永14年であることから推論すれば 武家の禅門帰依の時代風潮の中にあって 過去百年余りの宗旨を改め
禅門寺院として再開山したものと考えられる 以後 鴨山城主細川公の菩提寺として興隆・変遷の歴史を綴る
因みに 長川寺什物の中に「円通寺開山徳翁良高禅師書」の「当山開山英巌章傑禅師木像安座法語」と称する軸物が存在する この事実は 今昔を問わず 寺門交流の因縁の深さを如実に物語る証ともいえよう
いわば 寺門の年分行事等について 師僧 弟子共々 相互に随喜荷担することが 通常的慣習であったとも想像できる 加えて それらのことは 円通寺10世大忍国仙和尚の会下にあっても
継承し続けられていたと推測される
同時に そこに若き日の修行僧「良寛」の姿とて 当山15世徹岩観底和尚の眼前に見受けられはしなかったか
これらは 「良寛研究」をライフワークとして 一途の生涯を貫いた当山30世規道彰準和尚の憶測ならぬ持論でもあった
そこで その前任の遺徳顕彰の意図を含めて 「良寛文庫」なるものをささやかに設置し 「良寛の心」を糧に更なる生甲斐を求めようとする地域の人達に
研修の場として門戸を開いている
以上 岡山県良寛会著「良寛修行と円通寺」より引用させていただいた
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