真如院(旧名真如庵)を訪ねるときは 旧矢出町の西爽亭(さいそうてい)を目指すとよい 写真1には 「←熊田藩老節死之跡」「→良寛遺跡 真如院(旧真如邸)」と記されている 写真3の中央に建つ石柱には 「不許葷酒入門内」と刻されており 旧真如庵時代のものと思われる 真如院の住所:倉敷市玉島3-10-3
旧真如庵は円通寺の末寺ではなく 国仙和尚が眠る長連寺の末寺で 曹洞宗であった 良寛が国仙和尚から印可の偈を受けたと同じ頃に 国仙和尚から印可の偈を受けた義提尼は 享和3年(1803)に42才で(実相山)真如庵の庵主となって 建物の大修理を行い 文政5年(1822)托鉢によって得た浄財で国仙和尚の供養追善の高さ8尺5寸(2.5m)と大きな宝篋印塔を建てた 義提尼は 徳望が厚かったいわれ 天保8年(1837)長尾の一草庵で示寂したが 葬儀は本寺長連寺仙宗和尚の導師で盛大に執り行われ 真如庵境内に葬られた その後 安政7年(1860)真如庵は天台宗円乗院の末寺の真如院となったという 真如院境内地蔵堂前方に設置された「旧名真如庵」案内板には 次のとおり記されている 旧名真如庵 安永7年 国仙和尚は当時廃庵となっていた旧蹟に 真如庵を再興し 義提尼を住庵させた 良寛が円通寺へくる前年のことであった 良寛と義提尼は寛政3年(1791)の冬10月の頃あいついで国仙和尚から印可の偈を許された 文政5年の初冬 義提尼は托鉢で集めた浄財で 真如庵境内に 国仙宝篋印塔を建立した 天保8年6月9日 76才で示寂 真如庵に葬られた