良寛さま ゆかり
円通寺周辺5
海徳寺の縁起と円通寺との縁
新設:2017-05-01
更新:2023-02-13
撮影: 
縁起と山号の由来


所在地 岡山県倉敷市玉島柏島1885
山号寺名 馬乗山 海徳寺
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来/虚空蔵菩薩
開 創 文明6年(1474)
開 山 鴨方長川寺2世蜜山章厳和尚
再 興 永正2年(1505)
鴨方長川寺4世物表智応和尚
電話 086-526-1434
公共交通 JR新倉敷駅南口下車
玉島中央町・寄島 方面バス
玉島西中入口下車
徒歩約10分
Web
サイト
馬乗山海徳寺

海徳寺の写真と入替予定


【縁 起】

文明6年
(1474)
鴨方・長川寺2世の蜜山章厳大和尚が創建したが
当時 戦乱打ち続き 遂に衰廃した

永正2年
(1505)
長川寺4世の物表智応大和尚が再興した


慶長元年
(1596)
洪水のため後方の山が崩壊し 伽藍及び古記・什物が
ことごとく埋没した

慶長2年
(1597)
当村の領主・赤沢久助により 伽藍を再興

海徳寺8世・仙輪大恭和尚の時代に
参道脇にある 石書法華塔 彌勒尊像を建立

海徳寺13世即法玄中和尚の時代に
秩父阪東観音霊場を開く



【山号の由来】

戦国時代 玉島柏島にあった 畑山城・小山崎城・亀崎城などの武将が 海徳寺の裏山で馬の稽古をしていたことから 名付けられたといわれる

海徳寺と円通寺の関係

【円通寺の開創に 海徳寺一桂活道和尚の活躍】

元禄9年(1696)令名高い良高和尚が玉島(明崎韜光庵)に来られたので 海徳寺の活道和尚や土地の住民達が 行基菩薩と伝えられる観音様をまつる堂跡へ 一寺の建立を其の筋へ出願し 許可を得た

元禄11年(1698)春に 柏島海徳寺の一桂活道和尚 西江原永祥寺の竿灯円刹和尚 鴨方長川寺の独秀鷟雄和尚らが 玉島の有志と相謀り 観音堂跡に堂宇伽藍を建立した

旧星浦観音堂が荒廃していたとき 海徳寺が星浦観音像を 一時的に預かっていたとの話もある


【明治以降の濃い関係】

1.海徳寺住職から 直接 円通寺住職になられた和尚さま
   円通寺24世虚谷翠巌和尚
    {明治28年(1895)~明治37年(1904)11月9日}
     海徳寺16世(明治24年)
   円通寺25世徳慶戒全和尚
    {明治38年(1905)~昭和15年(1940)7月21日}
     海徳寺□世(明治32年)
   円通寺26世黙室泰定和尚
    {昭和15年(1940)~昭和17年(1942)2月10日}
     海徳寺□世(昭和12年)
   円通寺27世大勇活禅和尚
    {昭和17年(1942)3月26日~
     昭和42年(1967)10月30日}
     海徳寺□世(昭和16年)

2.海徳寺住職から他寺を経て円通寺住職になられた和尚さま
   円通寺21世祖山智門和尚
    {明治8年(1874)11月3日~
     明治17年(1883)5月18日}
     天保7年(1836)玉島海徳寺12世
     明治4年(1870)摂津鳳林寺23世
     
3.海徳寺住職として 円通寺を支援された和尚さま
   竹翁良林和尚 海徳寺□世
     円通寺22世元孝義道和尚が
     本山総持寺副監院常詰で不在のとき代行
   武□□和尚  海徳寺□世
     円通寺の27世中興大勇活禅和尚と28世大安憲道和
     尚の時代 および円通寺29世活龍哲明和尚が住持
     するまでの空白の4年半を支援

以上 岡山県良寛会著「良寛修行と円通寺」を参照させて頂きました
 
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