良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
円通寺周辺 3
近藤萬丈の生家
新設:2017-05-01
近藤萬丈の生家
撮影:2010-10-08他

近藤萬丈生家(菊池酒造)正面

近藤萬丈生家(菊池酒造)正面の
左手前に設置された案内板
撮影:2010-10-07


案内板
 良寛さまの遺跡 近藤萬丈の生家

江戸時代末期の国学者であり歌人でもある近藤萬丈(1776~1848)は 5代当主菊池源七武豊の次男として この地に生まれる

長男森之丞が5歳で亡くなった為 本来なら6代当主として家督を継ぐことになるのだが 学問を志し江戸に上がり 近藤萬丈(椿園萬丈)と名のった

土佐を旅行した時 良寛さまらしい僧に出会った話を 日記や「寝覚の友」に書き残し 良寛さまが玉島を去って越後に帰るまで 今まで謎とされていた放浪の旅の様子をうかがわせる貴重な逸話となっている

   平成10年10月10日
        曹洞宗 玉島円通寺  聖良寛奉賛会  岡山県良寛会
        玉島文化協会  玉島観光ガイド協会

場所ほか
近藤萬丈生家(菊池酒造)の住所とホームページは次のとおり
 倉敷市玉島阿賀﨑1212  http://www.kikuchishuzo.co.jp/
 同ホーページには 近藤萬丈の生家としての説明もあります

蛇 足
柳田聖山の 近藤萬丈「寝覚の友」への評価

柳田聖山著「良寛 漢詩で読む生涯」P40-41 に次のとおり記されている

良寛は円通寺を去って 四国に渡ったといわれて 近藤萬丈という俳人が 土佐で良寛に会った記録を残しています 草庵に独住する 無名の老僧です
机辺りに『莊子』の書があって 「了寛」という署名があるというのです
土佐での良寛は 今もなお評価されて 円通寺以降の空白を埋める 重要な資料となっています しかし 近藤萬丈の文章は 回想形式で書かれていますが 良寛滅後のもので 越後良寛の名が 世に知られる頃のことなので 私はこの資料も あまり高く信頼していません
いってみれば できすぎです いかにも良寛らしいのが かえって疑わしいのです すでに有名になり始めた良寛を知っているぞ という萬丈の作意だったのではないでしょうか