かっては、円通寺境内の仙桂和尚菜園辺りから 水月庵跡に至る道があったが 道が壊れたことから 人通りも絶えてしまった このため 円通寺から下って 現在の平壁通り(旧仲買町・旧西町)経由で 水月庵跡に登らざるを得なくなったとのこと
<水月庵跡の案内板に次のとおり記されたいる> 水月庵 寛政二年冬 国仙和尚は円通寺引退後の住庵として水月庵を建立し終っていたが 病の為入庵しないまゝ 翌年三月十八日 円通寺正寝にて坐化した 当時円通寺では 第四世以後の住職は寺内に墓を建てることを辞退する謙虚の慣例があり そこで国仙和尚の遺骨は水月庵に塔した 良寛の詩に詠歎された仙桂和尚は文化元年十月十六日示寂の日まで 水月庵にて師国仙和尚の墓を守っていた 仙桂和尚の墓は旧水月庵境内に現存している 水月庵はその後故あって廃止されたので 国仙和尚の墓は倉敷市の長連寺に移された 長連寺の創設に盡力し 同寺の中興第三世のゆかりをもってのことであった。