写真2の案内板には 「参考文献 明治17年出版の中備の魁より」と記されています 高瀬安太郎編「商家繁昌備中之魁」です 本文献は 国会図書館サイトからインターネットで閲覧することも出来ます なお 参考のため 案内板に記されている文を テキスト形式で次のとおり載せます もし 記載内容にミスがあったら本サイト管理人宛にメールにて連絡下さい 此山ニ木ト柏ノ霊木アリ蓋シ 神仙ノ舎レル所ロ上ニ瑞雲棚 引キ下モニ霊草生ズ人之レヲ 柏ノ神社ト称シ水旱疾病ニハ 必ズ祷ル祷レバ必ズ感アリ承和 年中其木枯レタレバ人之ヲ憂ウ 時ニ慈覚大師入唐ノ砌リ船此 冲ニ泊ス海上光ヲ放テ飛ブモ ノアリ大師怪シミテ其光ヲ尋 テ此山ニ上ルニ十一面観音其 枯木ノ中ニ隠レタリ因テ其木 ヲ以テ此十一面ノ像ヲ造リ其 徳ヲ不朽に伝ヘント欲ス是ニ 於テ人大ニ喜コビ復タ之ヲ崇 敬スルコト初ノ如シ然ルニ源 平兵乱已来其祭祀怠リテ殆 ンド廃セントセシナリ元禄ノ 頃ロ主水谷出羽守此寺ヲ建 立シテ其ノ本尊トナシ再ビソ ノ祭事ヲ興復ス其時大師阿伽 ヲ汲シ跡ヲ阿伽崎ト称シ其地 ヲ柏島ト称スルコト皆ナ此縁ニ因テ也
三角寺は真言宗の山伏の寺で「ご祈祷」して「よくあたったと」いわれ 明治時代には「ご祈祷所」としてお参りが多かった 写真3の中央奥にあるのが 写真4の三角寺大師堂 写真4の正面奥に「大師堂」と記された額が架かっている 写真3の両脇は 三角寺末寺 手前中央の大きな手水鉢は江戸時代に佐藤家が寄進したもの 以上 玉島阿賀﨑の虫明徳二氏から教示を受けた 三角寺は 本覚寺と円通寺参道の道を挟んで反対側にある 1908年頃に 玉島高等学校の前身校が三角寺と本覚寺を校舎として使ったと サイト「こらむ たまたま」に載っている