仙桂和尚菜園跡から東側に下ると 苦竹(真竹)林が覚樹庵跡北隣に小規模ながらある 昔は 千畳岩の北側(北参道)に大きな竹林があったという 良寛は 「宅辺有苦竹……愛爾貞清質」という漢詩(12句詩)を 五合庵居住時代に作っている 参考:「定本良寛全集」 1-449 *1-124 *1-014 *1-311
苦竹林から さらに下ると 覚樹庵跡があり 案内板に 次のとおり記されている 覚樹庵跡 二世雄禅良英の晩年 享保2年(1717)秋建立し隠居所とした 従来 その寺で引退して寺内に止る前任職 または 客僧用の建物であった 鐘楼脇の道を東へ下った所にあったが 明治末年に取りこわされた 庵跡には「良寛椿」と名づけた木が立っている なお 良寛が国仙和尚から受けた「印可の偈」の冒頭に 「附良寛庵主」とあることから 良寛は覚樹庵の庵主であったのでは ともいわれている また 同「印可の偈」末尾には 「寛政二庚戌冬 水月老衲仙大忍」と記されている 次の写真2のように2010年訪問時には 案内板前に大きな「覚樹庵跡」表示板があったが 2014年訪問時には なかった