良寛さま ゆかり
円通寺境内1
円通寺の概要・縁起・境内案内板
新設:2017-05-01
更新:2023-02-13
左から「円通寺公園の夜明け」「良寛堂」「玉島の良寛像」の合成写真です
左から 円通寺公園の夜明け、良寛堂、玉島の良寛像 の合成写真

【備中良寛さん こころの寺 第1番】
撮影:2010-10-08
概要

所在地 岡山県倉敷市玉島柏島451
山号・寺名 補陀洛山 圓通寺
宗 派 曹洞宗
電 話 086-522-2444
交通機関 JR新倉敷駅南口下車
「玉島中央町・寄島」方面バス乗車
玉島グランド前/昭和橋下車 徒歩約10分
但し、「寄島」方面バスの便数が少ないので
「玉島中央町」止りバスで「玉島中央町」下車
新町通り、昭和橋経由で徒歩約10数分
参考サイト 良寛修行の寺「円通寺」
ぶらり玉島散策マップ
朝日に照らされている「童と良寛」像です
「童と良寛」像 円通寺公園 白華山頂上
縁起


案内書「曹洞宗 補陀洛山 圓通寺」
<案内書「曹洞宗 補陀洛山 圓通寺」のうち「圓通寺縁起」より転載>

補陀洛山・圓通寺はもともと奈良・天平の昔から観音霊場の信仰の地でした ここには行基作と伝えられる聖観音様が祀られ 人々は霊験あらたかな「星浦観音」と呼び信仰していました

連綿として続いた信仰の灯も徳川中期ごろには一時寂れ 観音堂も荒廃し 観音様も雨露にさらされる状態となりました

当時 この地方には豪雨による災害や疾病が流行 「星浦観音」のたたりという風聞が広がりました たまたま当地明崎に加賀・金沢の名刹大乗寺住職を退いたばかりの高僧徳翁良高和尚が滞在していました

良高和尚は柏島・海徳寺の一桂活道 西江原・永祥寺の竿灯円刹 鴨方・長川寺の独秀鷟雄和尚の協力を得 庄屋の西山源右衛門をはじめとする村民百十七名の連判状を手に寺社奉行に嘆願堂宇を再建しました

元禄11年(1698)のことです ここに良高和尚を開山として補陀洛山圓通庵が開創されました その後圓通寺と改められ 多くの高僧が住持して寺格があがり特に十世大忍国仙和尚は多くの俊英の弟子を育成しました

その一人 越後生まれの良寛は22歳から33歳頃まで当山で修行 その後全国を行脚して聖僧と慕われています 11世玄透即中和尚は後に永平寺50世として本山の中興の祖として仰がれました
 
又 現在圓通寺は良寛修行の地として岡山県史跡に 円通寺公園は岡山県名勝地に指定されています

境内案内板

撮影:2010-10-07

円通寺境内案内図(白雲関右前)
2005年2月建立
良寛遺跡 水月庵跡・旧名真如庵 案内図
1989年4月 岡山県良寛会建立
<次の案内板が円通寺境内にあります>
円通寺
元禄11年夏4月 徳翁良高和尚円通庵を建立 2世雄禅良英和尚の代に円通寺と改む
三世蔵山良機和尚の代に第111代後西天皇の皇女宝鏡寺門跡紫景愛尼公の筆になる「円通寺」の寺号額を賜わり 現在も本堂正面入口に掲げられてある
以後 高僧が相い継ぎ現在に至っている なかでも 9世鉄文道樹 良寛の師10世大忍国仙 永平寺50世となり正法眼蔵の刊行を完成した11世玄透即中など有名である
また この地は円通寺をふくめて山全体が公園として 瀬戸内海の眺望は素晴らしい 

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