良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
高野町高野山
山本家墓碑(供養塔)
新設:2017-05-01
更新:2017-07-13
山本家墓碑(供養塔)施主越後国出雲崎住山本甚三郎
撮影:2014-05-15

山本家墓碑(供養塔)
右手前から撮影

山本家墓碑(供養塔)左側面
左下に「山本甚三郎」と読める

【山本家墓碑の建立者】

2015年5月 高志書院刊 塩浦林也著「良寛の探究」は 概ね 次の推測を記している(詳細は 同書P31-45)

高野山奥の院に「山本家墓碑」を建立したのは 良寛の父・以南であって 墓碑左面に刻された「山本甚三郎」は以南が当人の名を隠すため ありふれた名を付けた

以南は 一世一代の仕事として 独力で密かに 山本家先祖の供養塔を高野山奥の院に建てるために京都に上った

以南に「蘇迷盧の山をかたみにたてぬれは わかなきあとはいつらむかしそ」の和歌(良寛遺墨)がある  注:蘇迷盧(そめいろ)の山=高野山

冨澤説によると 以南には 京都において 短くて1年7ヶ月 長くて2年2ヶ月の時間があった筈 しかし この間に 以南が何をしていたかの記録が見つかっていない

【山本家墓碑の場所】

1992年3月 恒文社刊 小林新一著「良寛巡礼」は P95に「高野山にある山本家の墓」としてカラー写真1点を掲載し 「奥の院20万基の墓石のなかに 越後国出雲崎住山本某を名のる墓を見出し 墓碑の戒名は良寛の生家 山本一門との確認もとれた」と記した

その後 「良寛巡礼」の著者・小林新一の案内で「奥の院・御廟近くの山本家墓」を訪ねた松本市壽は 全国良寛会会報67号上に 墓碑の写真1点を添えた報告を行い 墓碑に刻まれた4人の戒名と施主名を明らかにした

以上 2者の報告で 同墓碑を訪ねる時に 参考になる点を整理すると次のとおり
1.場 所…高野山奥の院 御廟に近い 芭蕉句碑に近い 塔頭宝亀院統括の墓域
      バス停「奥の院前」から御廟を目指すと句碑誓子辺りで左折する
2.形 状…2者が添えた写真
3.墓碑銘…正面の4人の戒名(省略)
      左側面の「施主越後国出雲崎住山本甚三郎」

以上の情報を基に 本サイト管理人は「一の橋」から山本家墓碑を訪ねたが 探し出すのに多少時間を要した 先ず 芭蕉句碑の周辺にある 墓碑頭部形状が似ている墓碑を探し 次に 山本甚三郎と刻まれているか確かめた

今後 山本家墓碑を訪ねたいと思われる方のための 追加情報は次のとおり

1.バス停「一の橋口」から御廟を目指し 「中の橋」を過ぎて しばらく進む
2.右側に「英霊殿」から来る道と合流直後に 左側にある「崇源院秀忠夫人墓碑」
  に向かう道へ左折する(芭蕉句碑 父母恩重碑より 中の橋 一の橋 寄り)
  …下掲の左と中央の写真参照…
3.左折した道の奥に1番石といわれる「崇源院秀忠夫人供養塔」があり
  その手前に「陸軍関係慰霊碑」があるが そこまでは進まない
4.下掲の右写真に写る右折道を入って 直ぐ左手奥に山本家墓碑がある

右からの道は「英霊殿」からの道
左に曲がる道へ 左折する
山本家墓碑へ左折する道の入口
崇源院墓碑 陸軍慰霊碑 案内あり
右折する道の奥に小さく 苔むす
頭部をもつ墓碑が 山本家の墓碑