良寛ゆかりの処を訪ね歩きながら 写真を撮り続けた小林新一の著書「良寛へ歩く」では 良寛が四国の旅から船で戻った処は ここ坂越(さこし)港(旧名:坂越浦)であり 坂越から赤穂城下に向かったのではと 推測している 坂越浦は 漁業 赤穂塩と共に 大坂と日本海とを結ぶ通商の寄港地(回船業)として栄え 四国丸亀との船路も良寛が生きた時代には 日に数便あったらしい 現在は 坂越地域が街並み保存地区になっている 上掲写真1の中央から左に浮かぶ島は 「生島」で 国指定天然記念物(原生樹林) 上掲写真1を撮った辺りから振り向いたときの 海岸沿いの家並みは下掲写真4のとおり 高潮対策のためか海岸線が沖合に100mほど延びたようだ 小林新一著「良寛へ歩く」に掲載されている写真では 家並のすぐ前が海岸となっている 坂越には 旧坂越浦会所 木戸門 妙見寺 大避神社などの見所も多く 児島高徳墳墓などもあるという 場所: 兵庫県赤穂市坂越