良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
沼津市原
良寛遺墨碑「白隠語句」・柳田聖山歌碑
新設:2017-05-01
良寛遺墨碑「白隠語句」・柳田聖山歌碑
撮影:2014-05-20

良寛遺墨碑「白隠語句」・柳田聖山歌碑
碑右の枝の陰に案内板がある

良寛遺墨碑「白隠語句」・柳田聖山歌碑

白隠禅師墓は左端
中央は開山大瑞宗育大和尚塔

白隠禅師墓

碑 面
君看雙眼色 不語似無憂
    <注>右寄りに大きな文字で刻されている

降る雪の 降る雪の 雪の花を我が後の世の家づとにせん 家づとにせん
  五月十五日 沼津良寛会さまのうた一首
             紙屋院
    <注>左寄りに小さな文字で刻されている

案 内
碑の右に添えられた案内板より引用し 項目「原文」~「解説」とした
原 文
君看雙眼色 不語似無憂
読 み
君看よ双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり
口語訳
妾の二つの眼の色をよくよく看て下さい
何も言ってくれないと
憂い(その気)がないように見えますよ

解 説
白隠禅師の著『槐安国語』巻五にある語
大燈頌古「千峯雨霽露光冷」(千峯雨はれて露光冷じ)の句に着けた白隠の下語の一部
良寛は白隠に共感してこの語を書いた(但し愁を憂とかいている)
その書は 良寛最高傑作の一つで ここに白隠と良寛との深い結びつきがうかがわれる

原 文
降る雪の 降る雪の 雪の花を我が後の世の家づとにせん 家づとにせん
  五月十五日 沼津良寛会さまのうた一首
             紙屋院
口語訳
降りに降る雪の花を 来世の私のために その家のおみやげにしたいものだ
ぜひともおみやげにしたいものだ

解 説
良寛の臨終に近い頃の歌に「おく山のすがの根しのぎふる雪のふる雪の
降るとはすれど積むとはなしに その雪のその雪の……」があり
柳田聖山氏がそれをふまえて詠んだ自筆の歌
紙屋院は 柳田聖山京都大学名誉教授の雅号
    平成13年6月10日  沼津良寛会
案 内
柳田聖山は 平成18年(2006)11月8日に逝去された
建 碑
2001年6月 全国良寛会沼津総会開催記念
        静岡県で初めて建立された良寛書の碑
建碑者
沼津良寛会
場 所
静岡県沼津市原128 臨済宗白隠派大本山境内
参 考
「定本良寛全集」2-1411
白隠墓
(案内板)
静岡県指定史跡 白隠禅師墓 指定 昭和29年1月30日
白隠禅師は 駿河国原宿(現在の沼津市原)長沢家の三男として 貞享2年(1685)12月25日の仕舞天神の日 丑の年 丑の日 丑の刻に生まれ 名を岩次郎といった
15歳のとき 松蔭寺で出家 慧鶴(えかく)と名づけられた 19歳より旅に出て諸国を修行し ついに500年間に1人と言われるほどの高僧となり のち臨済禅中興の祖と仰がれるようになった
禅画をよくし 好んで釈迦 観音 達磨などを描き 現在松蔭寺に多数保存されている また 「駿河には過ぎたるものが2つあり 富士のお山に原の白隠」とも歌われた
明和5年(1768)12月11日 84歳で入寂し 後桜町天皇より神機独妙禅師の諡号(しごう)を また 明治天皇からは正宗国師(しょうじゅうこくし)の諡号を賜った
   昭和56年11月30日
             静岡県教育委員会 沼津市教育委員会

サイト
松蔭寺山門

松蔭寺本堂

山門右手前設置「白隠の里案内板」