良寛さま ゆかり
尼瀬729-1
碑「代官所跡」
新設:2017-05-01
更新:2023-02-19
撮影:2011-06-29
碑「代官所跡」


碑「代官所跡」


案内板
(碑右前方)
代官所跡

出雲崎は 文明年間(約500年前)上杉家によって 佐渡征伐の拠点と海岸鎮護のため陣屋が置かれた 元和2年(1616)に徳川幕府は出雲崎代官所を幕府直轄地(7万石)とした 以後 出雲崎は唯一佐渡からの金銀荷揚げ港として栄えるようになった

代官所は町内の石井町 羽黒町 稲荷町と変遷し文化5年(1808)にこの地に移転した 以後 明治に至るまで存続 歴代代官の中には 教育や港湾の築造に力をそそぐなど名代官がおられた 今でも松の大木と屋敷神社稲荷社が往時を物語っている
出雲崎町  


場 所
新潟県三島郡出雲崎町尼瀬729-1

建 碑
昭和43年(1968)11月30日

建碑者
出雲崎老人クラブの尼瀬喜楽会幸福会が発議
明治100年を記念して広く募金をして建碑

蛇 足
善勝寺境内にある碑「おけさ発祥之地」と「同案内板」との間の奥に「行餘館遺跡」と刻された小さい石碑があり サイト「東京出雲崎会」の「ふる里歴史散歩道」から「出雲崎編年史⑥」ページに次のように出ています

嘉永六年(1853)行餘館開校「編者旧記」
儒学を尊崇せる代官 篠本彦次郎にはこの地の教育制度を改善し領内の教育程度を向上せんと企画し領内有志の拠金を以って行餘館と称する学校を善勝寺境内に建設せり 教師の俸給は代官自弁とし経費は領内の寄付金を持って支給芹 云々

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