碑 面 安め能ふ流 日 波鞅者礼奈 利良寛坊 良寛書> 読 み 雨の降る 日はあはれなり 良寛坊 良寛 建碑趣意 宝来寺境内建碑のことば 東蒲原郡鹿瀬町豊実の里は 福島県境の一寒村にして 山紫水明の幽邃境であります ここに 古刹曹洞宗金華山宝来寺の一大伽藍が聳えています 門前の馬取川は淙淙として 渓声広長舌山色清浄の一大霊場と謂うべき地であります この寺の住職今川文暁師は 法灯を守って20有余年 仏に帰依奉仕のかたわら鹿瀬町公民館長 人権擁護委員 保護司として 多年文化の推進と社会福祉の向上に全魂全霊を打ちこんで精進努力せられ その功によって昨年藍綬褒章の栄誉に浴せられました また 余技として多彩の手腕を発揮せられ 文に書に絵に篆刻に 行くとして可ならざるはなく その徳化は 郷土は言うに及ばず 広く各界にあまねく 師を慕うて参堂参院して皆安心の境を会得し 賛仰敬慕おく能わぬという有様です かくして 師を畏敬する各階各層の人々は以心伝心相語らい この聖域に記念の碑を建立して 師の徳を顕彰しようと この計画を企てました 碑文は常に師の景仰される良寛さまの あめのふる日はあはれなり良寛坊 の文句を選びました 宝来寺と良寛さまは 何のゆかりもないように感ぜられますが ともに曹洞禅であり 文暁師は また 大の良寛崇拝者であります 我らもまた親しみ深い良寛さまを思う時 師の心を心として折にふれ参禅 その碑を仰ぐことによって禅師の人間味に接したい悲願で この挙を企てました 幸にして良寛さまを慕い 文暁和尚を慕う 大方の温かい喜捨を 心からお願い申し上げる次第であります 昭和42年8月下浣 右発起人代表 鹿瀬町長 猪俣 毅 新潟市健保病院長 河路貞夫 亀田町 玉木琇三 場 所 新潟県東蒲原郡阿賀町豊実丁571 (曹洞宗) 金華山宝来寺 筆 者 良寛 建 碑 昭和42年(1967)11月12日 建碑者 今川文暁師景仰同志 参 考 「定本良寛全集」3-俳句-103 「いしぶみ良寛」正-01-P008_011