碑 面 やよしばし さほさしとめよ わたし守 それかあらぬか ほととぎすなく 貞心尼 碑 陰 歌を省略(上掲碑面と同じため) 明治2年12月 貞心尼は 漢方医寒江惟春に見送られて川舟に乗り 魚沼の 地を後にした 年の暮れの雪の降る日で 貞心尼没3年前のことであったと 寒江家の文書には 書き記されている 平成13年9月 関長温を偲ぶ会 建立 全国良寬会参与 駒谷正雄 書 案 内 魚沼良寛会「魚沼市 良寛さまと貞心尼・関長温 ゆかりの地ガイドブック」から抜粋引用 貞心尼歌碑は 漢方医関長温を偲ぶ会と徐々坊(じょじょぼう)敬慕会が中心になり 平成13年9月に建立されました 碑面には 柏崎市 極楽寺所蔵の「もしほ草」から選定した歌が刻まれています 水車小屋公園の上流側には かって「田戸(たど)の渡し」と呼ばれる渡し場がありました 貞心尼は明治2年 長温と交流のあった掘之内宿の漢方医寒江惟春(さがえいしゅん)に挨拶するため 下船したといわれています それは貞心尼が75歳で遷化される3年前のことであったと 伝えられています 魚野川の清流に 過ぎ去ったありし日の貞心尼の姿が偲ばれます 場 所 新潟県魚沼市八幡町魚野川河畔 水車小屋公園 筆 者 貞心尼 建 碑 平成13年(2001)9月 建碑者 関長温を偲ぶ会