新設:2017-05-01
更新:2023-02-19
撮影:2013-05-15
貞心尼歌碑「あるじなき・きて見れば」
- 碑 面
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碑の右側から縦書で
故郷萩
あるじなき 宿ともしらで ふる里の
庭の秋はぎ 今やさくらん
来てみれば 袖ぞぬれける(露けき)ふる里の
かきねまばらに 咲ける秋はぎ
貞心尼
貞心尼歌碑
靫彦
- 案 内
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魚沼良寛会「魚沼市 良寛さまと貞心尼・関長温 ゆかりの地ガイドブック」から引用
貞心尼は 長岡の奥村五兵衛の娘(ます)として寛政10年(1798)に生まれました 長じて小出嶋村の下町北裏に開業していた漢方医の関長温に嫁ぎ 8年余りの結婚生活を送りました
2人が離別したのち 長温は下町通りの他門(長屋門)と呼ばれる西井口家の借家に移転して 引き続き医業を行ったとみられています
ますは 子に恵まれず 文政5年(文政3年説もある)夏に離別して尼僧の道を選び やがて良寛の弟子となります
良寛が亡くなったのち 貞心尼は良寛の肖像画を依頼するため 小出嶋村の松原雪堂を訪ねたりしました
このように当地との関わりが深かったことから 尼を偲ぶにふさわしい歌を歌集「もしほ草」から選び 文化勲章受章者の安田靫彦画伯から「貞心尼歌碑」の揮毫をいただいて
碑が建立されました
歌を省略(上掲碑面と同じため)
当歌碑は 昭和38年9月 長温夫妻の縁故者を招いて除幕された
- 場 所
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新潟県魚沼市青島小出公園内
- 筆 者
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貞心尼(歌)
安田靫彦(題字 貞心尼歌碑)
- 建 碑
- 昭和38年(1963)9月
- 参 考
- 「いしぶみ良寛」正-72-252_255
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