新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2011-07-01
盧元坊句碑「夜やうれし」
- 案内板
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七夕
ことし後越に漂白して星祭の比は新潟の人々に約しながら
越後なるせばの渡りの朝あらしきのふも吹かけふも吹らし
といへふることに心ゆるみて
このわたりの七夕にあふ事にはなりぬ
夜やうれし星のわたりも狭とこそ
黄鸝主(こうりしゅ)
盧元坊(ろげんぼう)
解説:
分水町大字地蔵堂の地は 往古(年号不詳)弥彦荘櫻井郷狭(せば)村という 文治2年(1187)の西行法師 東大寺・再建勧進に下向の砌 鎌倉にて源頼公より与えられた源家の守護佛金躰「勝軍地蔵尊」を供養し
奥州平泉の藤原氏から奉加を得ての帰路諸国行脚の途次 狭村に至る 法師夢中に地蔵尊の示現を得て 狭川(西川)の辺りに仮の草堂を造り 金像を安置して
”越路なるせばの渡りの朝あらし
きのうも吹かけふも吹らし”
の詠歌一首を残して文治4年此地を去る
その後再三遷坐あり 建保5年(1217)現在地に堂建立 のち永徳3年(1383)市街をなし狭村を地蔵堂町と改称し 地蔵堂願王閣の門前町として発展した
仙石盧元坊は 別号黒紅 黄鸝園 俳諧を芭蕉門の東華坊支考に学び 享保20年(1735)及び寛保3年(1743)に来越している 延享4年(1747)郷里美濃に没す 60歳
- 場 所
- 新潟県燕市地蔵堂本町1-7-5 願王閣境内
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