西行堂誌 西行堂入口左に次の「西行堂誌」が掲げられている 西行堂誌 今を去ること800年余り前の昔 鎌倉時代初期に於いて 歌人として名高かった孤高の高僧・西行法師円位が 諸国行脚のみちすがら 此の地(当時は狭(せば)の里)に立ち寄ったと言い伝えられ その折に「越路なる狭の渡しの朝嵐 昨日も吹くか今日も吹くらし」の歌を詠んだとされております 時移って 西行法師の鴻徳を後世に遺すべく開創された西行堂の御本尊は 法師御真筆との謂れある金泥塗りの桧皮の経塔婆と共に 奈良の法隆寺より本与板の弘済寺へ伝わっていた木彫の千仏地蔵の内の御一体でであります 後に縁あって 弘済寺より本町下組の石地屋の渋木利八家の石室に奉安されていましたが 大正4年に渋木家が東都へ転出するに際して 桜町の字仏としてお迎えする事となり 大正5年に現在地に石塔を建立し 遷座が行われました 最初の西行祭は 次に掲げる西行法師辞世の歌に因み 桜町通りの西側に並ぶ桜の花の咲く頃にも合わせて 翌大正6年4月20日に挙行され 現在もなお桜町の例祭として引き継がれております 願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃 平成17年4月 分水町桜町 場 所 新潟県燕市分水桜町1-8 分水駅前公園から少し東に下がったところ 参 考 分水商工会サイトまち歩きマップ - 分水駅周辺