案内板 史跡 夕ぐれの岡(昭和44年5月31日 町文化財指定) 大河津分水の通水以前は この付近から南西には「円上寺潟」が 東北には「中島用水溜」という池沼があり 周囲は堤防に囲まれ 樹木も繁茂していたという 江戸時代・元禄の頃(1690~) 国上寺再建のため各地を奉加中の萬元上人は この堤防の上で折から湖面に映える夕陽を眺めながら左の歌を詠んだ 忘れずば道行きふりの手向をも ここを瀬にせよ夕ぐれの岡 それ以来 だれとはなしに この付近を「夕ぐれの岡」と呼ぶようになった 萬元上人からおくれること百年余 同じ五合庵に住み 同じ道を托鉢で往来した良寛は 萬元上人を偲び次の歌を詠んでいる 夕ぐれの岡の松の木人ならば 昔のことを問わましものを 夕ぐれの岡に残れる言の葉の 跡なつかしや松風ぞ吹く 分水町教育委員会 場 所 新潟県燕市中島 バス停「石港」近く 大河津分水路右岸堤防道路脇 筆 者 池田鵞邨(池次) 建 碑 昭和11年(1936)11月3日 建碑者 涌井半一(港屋主人) 参 考 「いしぶみ良寛」正-61-218_219 「定本良寛全集」 良寛歌「夕ぐれの岡の松の木人ならば」2-0435 良寛歌「夕ぐれの岡に残れる言の葉の」2-1231