良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
渡部
東岸寺(有願和尚ゆかり)
新設:2017-05-01
東岸寺(有願和尚ゆかり)
撮影:2011-06-29

東岸寺山門

東岸寺山門前に設置の案内板
「有願筆 六曲屏風・一双及び聯」


案内板
有願筆 六曲屏風・一双及び聯

正保元年(1644)開創と伝えられるこの寺は 日輪山東岸寺(曹洞宗)と称し 明治末期(1909)までは 現在の大河津分水路河川敷内にあった

分水町で貴重な「書跡」として文化財に指定した「六曲屏風一双及び聯」の筆者である有願(姓田沢 白根市新飯田・田面庵主 元文2年(1737)~ 文化5年(1808)は 幼少期 茨曽根の永安寺大舟和尚に参禅しており 同学の士に大森子陽・中村久右エ門・富取長太夫らがあった

有願は同寺で得度剃髪して禅僧となり 江戸・京都などでも研鑽を積んでおり 絵は狩野玉元についたといわれる

帰郷後は 蒲原・三島各地を巡錫の後 田面庵主となり 多くの子弟を教えた
有願が この寺に錫を留めたことについては不明であるが 聯の頭文字をそれぞれに「日輪、東岸・・・・」とあることから関係があったものと思われる

聯及び屏風の書風はいづれも「狂草体」ともいうべき有願独特の筆法である 有願が後年に至って五合庵に在庵した良寛と親交を結んだのは 良寛の師・大森子陽と同学であった縁や 共に無邪思の境地が20歳余の年齢差を感じさせないものであったにちがいない

良寛が雪の日 田面庵をたずねたところ 有願が池の中に入っているので 良寛も共に入り 有願の「だるま」絵の構図に助力したという逸話も残っている

 
補 足
良寛と阿部定珍の時代には 阿部家は現在の大河津分水路に架かる渡部橋の下流にあったといわれる

場 所
新潟県燕市渡部 (曹洞宗)日輪山東岸寺