良寛さま ゆかり
渡部1696-1 菅原神社前
渡部城跡・菅原神社
新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2011-05-18
渡部城跡・菅原神社


案内板「渡部城跡」

案内板「渡部城址鳥かん図」

菅原神社参道入口

菅原神社参道前の座牛


案内板1
(渡部城跡)
渡部城跡

昔のことは史書に記されてもいるが明らかでない 上杉時代には別名「扇山城」ともいわれており 現在の参道から頂上にかけて腰曲輪 三の曲輪 二の曲輪 本丸 そして反対側には狼煙台 空堀跡などが確認されている

その時代には 北方の黒滝城の将士が守っており 危急のの場合は狼煙をあげて南方の夏戸城へ報せるなど 防衛上の要衝であった 越佐史料にによれば 天正7年(1579) 上杉景虎の残党 神餘親綱(三条城主)が黒滝城と共に渡部城も攻めたが 黒滝城将山岸秀能がこれを撃退している(御館の乱)

慶長3年(1598)上杉景勝は会津移封となり 替って堀秀治が春日山城主になると その重将柴田佐渡守勝全を一万三千石で渡部城主とした しかし同7年(1602)ころ 柴田勝全は関ヶ原合戦をめぐって堀氏と争い 同城を退転したまま廃城となった

明治42年(1909)信濃川分水工事のため 北側斜面は幾分削り取られたが 主要部は昔の面影を留めている

なお 現在は頂上部に菅原神社(本社)及び住吉社等13社(摂社)と石祠6社がある
分水教育委員会  


案内板2
(菅原神社)
座牛について

菅原道真公は 丑年の丑の日に お生まれになったと伝えられています また 古来菅公は学問の神としては勿論 農業の神(火雷天神→雷→雨→農業にとって最も大切な雨を司る神)としても崇敬されており 農業に欠かせない動物であった牛が 菅公の神霊をお守りする霊獣として祀られたとも伝えられています

撫で牛神事にいて

撫で牛の神事は 菅公の神霊をお守りする尊い霊獣の体を触れることにより その力を自分の力にして しかもその力で 身体の病気を治したいという気持の現れの神事です
(例えば足の悪い人は牛の足を撫でて自分の足を撫でる)
力士やプロレスラーのように力の強い人の体に触れる姿を テレビでよく見かけますが 強い力に触れることで自分も強くなりたいという願望がそうさせることと共通しています
宮司 粕川正之敬書  


場 所
新潟県燕市渡部1696-1 菅原神社前 県道2号沿い

このページのトップへ戻る