原田鵲斎旧居跡と良寛詩「自従一破家散宅」暮投思思亭
新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2013-05-15
原田鵲斎旧居跡と良寛詩「自従一破家散宅」暮投思思亭
- 案内板
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原田鵲斎旧宅跡
宝暦13年(1763)生 文政10年(1827)没65歳
鵲斎は 真木山村の庄屋原田仁左衛門の3男で 天明5年(1785)23歳でこの地に分家 医者を開業した
文化14年(1817)一家5人で中島村に移るまでの20余年間 良寛・良寛の弟由之(よしゆき)をはじめ大村光枝・亀田鵬齋等の文人を迎えて詩歌を詠みあっていた
鵲斎の旧宅は この横の路を入ったところにあった
(現在 良寛の歌碑がある)
暮れて思々亭に投ず(漢詩読み)
一たび破家散宅してより
南去北来旦(しばら)く年を過す
蕭々たる暮雨孤村の道
也是れ青筇(きょう)(青竹の枝)君を訪ねて来る
良寛
- 補 足
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<本漢詩の白文は次のとおり>
暮投思思亭
自従一破家散宅
南去北来且過年
蕭蕭暮雨孤村道
也是青筇訪君来
「思思亭」は真木山の原田鵲斎の亭の名
- 場 所
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新潟県燕市真木山 原田鵲斎旧居跡
表道路真向いに次の大きな建物がある
「平成19年度新潟県農林水産業総合振興事業
(農)川西真新ファーム米乾燥調整施設」
- 参 考
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「定本良寛全集」*1-109一番近い詩 *1-261 *1-358
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