案内板 五合庵 良寛が 玉島(岡山県倉敷市)の円通寺できびしい修行を終え さらに各地の名僧をまずねて研さんを重ねたのち 寛政8年(1796)頃から山麓の乙子神社わきの草庵に移り住む迄約20年間 住いしたところである 五合庵の名は 貞享(1684~)の頃 国上寺に身を寄せて 時の住職を助けて国上寺の阿弥陀堂(本堂)等の再建に身命をかけて その功をなしとげた万元上人に この草庵と毎日米5合を給したことから名づけたといわれている 現在の草庵は 大正3年の再建によるもの 蛇 足 「五合庵」という名称の由来について 毎日米5合という量は 現在の度量衡からすると 少なくはないので これを 万元和尚が生きた時代の5合は 現在の1/10であったと 説明されることがある しかし 万元和尚が生きた時代と現在の度量衡に 日本では10倍の差はないようで むしろ 大きく変わってはいないようなので 何か別の趣意があって 万元は「五合庵」と名付けたのではないかと 考えたい 五合庵は 国上寺の小さな末寺(普賢院)を小さくして建てられたともいわれている 場 所 新潟県燕市国上 国上寺西参道 参 考 国上寺公式サイト