新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2011-05-18
像「良寛さんと毬」
- 案内板
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中部北陸自然歩道 良寛
子供らと 手まりつきつゝ 此の里に 遊ぶ春日は くれずともよし
江戸時代の後期に 一人の禅僧として生きた良寛は 天性の詩才に恵まれ おおらかな人間愛にあふれた詩や歌をよみ 独自の光彩を放つ書を多く残しています
良寛は宝暦8年(1758)に 現在の三島郡出雲崎町に生まれました
18歳で仏門に入り 3年後には備中の国(現在の岡山県)に赴き 修行を積んでいます その後は四国や九州へも修行の旅を続け 38歳になって故郷の越後の国へ戻っています
越後に戻ってからは 国上山にある「五合庵」を中心に仮住まいの生活を続け 以来約20年間を五合庵で過ごした後 国上山の麓の「乙子神社」の草庵に移りました
69歳になり 国上山の厳しい寒さを案じた三島郡和島村の木村氏の招きにより 木村邸の小庵に移り住み 74歳で亡くなっています
自らを「大愚」と名乗り 生涯 寺を持たず 托鉢により生活を送り 自然を愛し 世俗のものに執着することなく 子供らと戯れた天真爛漫な心
良寛の書や詩歌には 謙遜で優しい人柄があふれています 良寛の人柄や生き方は 今でも多くの人々の心を惹きつけ「良寛さん」と親しみをこめて呼ばれています
環境庁・新潟県
- 場 所
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新潟県燕市国上 朝日山公園 公園中央
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