良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
五十公野コミニュティセンター
良寛詩碑「去城一里餘」題藤氏別墅(要約)
新設:2017-05-01
良寛詩碑「去城一里餘」題藤氏別墅(要約)
撮影:2012-05-14
良寛詩碑は中央飛石の奥

良寛詩碑「去城一里餘」

碑「蒲原大平野発祥之地」
碑の解説は末尾「参考」欄に記載

豊田神社参道入口に建つ
標石「豊田神社」
碑周辺
【良寛詩碑の他碑との位置関係】

良寛詩碑は 新発田市五十公野(いじみの)コミュニティセンター(旧ふるさと会館)庭前にあって 左上写真では 中央飛石の一番奥にある高さの低い碑

左上写真の左端に木製の「題藤氏別墅之碑標柱」があり その右に一部樹木の陰になるが 平成12年(2000)6月に溝口秀勝公遺徳顕彰会が建立した 大きな「蒲原平野発祥之地記念碑」があって さらに その右下に良寛詩碑がある

右端の大きな案内板は「蒲原平野発祥之地記念碑建立趣意」 この内容は 末尾「参考」欄に転載する

碑 文
去城一里餘 偶伴采樵行
夾路青松直 隔橋野梅香
家中何所在 詩書盈長壯
         良寛

読下し
城を去ること 一里余  偶、采樵の行くに伴う
路を夾んで 青松直く  橋を隔てて 野梅香し
家中 何の在る所ぞ   詩書 長壯に盈つ

由 来
(副碑)

コノ碑文ハ、良寛禅師ガ新発田藩主溝口直諒侯ノ時代に當地方ヲ巡錫サレ
時ノ米倉大庄屋濟藤忠蔵家ニ立寄リ、詠マレタ五言古詩デアル藤氏別墅(良寛自筆詩稿草堂集)ヲ要約シ、五言六句ニマトメタモノデアル
  平成八年十二月
    撰文 渡辺秀英
    書  鹿島直江
    石工 相田昭作
建 立
平成7年(1995)4月29日
建立者
新発田良寛会
場 所
新潟県新発田市五十公野4930-1
五十公野コミュニティセンター(旧ふるさと会館)庭前
碑 稿
新潟市 渡辺秀英
碑陰書
新発田市 真壁恵美
施 工
石材店 相田正作

原 詩
碑に刻むには原詩は60字で長すぎるので、渡辺秀英が30文字に縮めたという詩碑
(以下原詩を記すが、*印は初案文字、→印は良寛添削文字)
去城一里*許 *許→餘
偶伴采樵行
夾路青松直
*隔橋野梅*芳 *隔→過、*芳→香
入門如有待
挂錫即吾*堂 *堂→郷
池古魚龍仞
林静春日長
家中何所在
詩書盈長壯
晩歩東廂下
幽鳥復北翺


参 考
「定本良寛全集」*1-299 *1-097 *1-366
「いしぶみ良寛」続-02-008_009


【蒲原大平野発祥之地 記念碑建立趣意】

慶長3年(1598) 藩祖溝口秀勝公が新発田に封を受けられるや 先ず五十公野に仮居して施政の大策をたてられました

阿賀・信濃の二大流域や加治川に属するこの地は 氾濫を繰り返し 加えて大小の湖沼相接し蘆荻が広く繁る湿地帯をなしていました

公はこの荒寥とした情景を現豊田神社周辺の勝手山上より望み 思わず長嘆されたといわれます しかし 一旦 意を決せられるや 万金を投じ 百工を集め 役夫・農民を雇って治水開墾の大事業に着手されました

時に 戦国の余燼消えやらぬ頃であり 兵政の間を縫って 日夜歩を進め 監督激励されたのであります その為 十数年を出でずして荒野は沃野と化し 人々も漸次集い来たり 村落も追々整ってきたのであります

歴代藩主も公の遺志を継がれ 聖籠・松ヶ崎地区の開墾をはじめ 湖沼地の干拓・加治川の築堤など農政に意を注がれ ついに 表高5万石の領内に 実収20万石を超える蒲原平野を出現したのであります。
実に当今の大新発田発展への基は ここにあるといわねばなりません

恰も 公入封400年の節目にあたり 公の偉功を顕彰し 由緒深き五十公野の地において記念碑を建立し 輝く歴史を後世に遺したいと願うものであります