良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
柏崎市学校町
貞心尼托鉢像
新設:2017-05-01
貞心尼托鉢像
撮影:2011-06-28
 
貞心尼托鉢像

貞心尼托鉢像
中央奥に図書館建物

左奥に 貞心尼歌碑「蓮の露」
右に 貞心尼托鉢像

案内板に次のとおり記されている

貞心尼托鉢像 TEISHIN-NUN

貞心尼(1798~1872)は 長岡藩士奥村五兵衛の二女として生まれ 幼名を「ます」という 幼時乳母にともなわれて柏崎に遊ぶ その時の想いが忘れられず 終生柏崎を故郷と思う

一旦は 小出の医師関長温に嫁すが 別離後に 柏崎下宿三ツ石の閻王寺で眠龍心龍尼のもとで尼僧生活に入る 一時 長岡在福島の閻魔堂に住す 此の頃に 島崎能登屋の別舎に在りし良寛を知りその弟子となり わずか4年余の交流で良寛が遷化してより 詠み交わしたる歌や思いをひろい集めて ”蓮の露”(市文化財)を綴り 茶毘小路の釈迦堂の庵主となるも(1851年)の八木火事で焼け出されて 広小路下の眞光寺境内に知人外護者等の尽力で草庵を建てて貰って 不求庵と命名して住し(1872年)2月11日に此の世を去る

生前 貞心尼が大変お世話になったお礼に極楽寺の靜誉上人に これまでの歌集を収めた一冊を贈り ”もしほ草” と銘々し 現在も極楽寺の寺宝として 大切に保存されている
此の歌集の最後に ”春の浦” としてただ一首
 ”あまの子は さくら貝をや ひろふらん
    なみの花ちる いそづたいして”
の歌より 若き日の貞心尼の托鉢姿を想い 貞心尼生誕200年を記念し 柏崎良寛貞心尼会が広く浄財を求めて 平成9年(1997)11月 建立せしものである

作者は 高岡市の石黒孫七氏で和島の良寛の里の”良寛貞心尼対面の像”の同一作者にお願いした 此の歌は貞心尼が自分の若かりし頃を思い出して厳しい托鉢の行のありし日をしのんで歌ったものであろう 像は良寛生誕地出雲崎に向かって立っている