良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
柏崎市西本町
貞心尼 不求庵跡
新設:2017-05-01
貞心尼 不求庵跡
撮影:2011-06-28
 
案内板右に木製標柱「貞心尼不求庵跡」

鳥居右の石柱に刻まれた文字
正面「横道二十四番清浄山真光寺」
右側面「龍宮出現 正観世音菩薩」

石仏など
左上写真にある「案内板」に次のとおり記されている

不求庵跡 FUGUAN SITE

嘉永4年(1851=貞心尼54歳)4月 10年住んだ釈迦堂が類焼したので 外護者の山田静里らが中心となって 広小路真光寺の側に八畳・四畳・三畳の庵室を建ててくれた 貞心尼はこの庵を「不求庵」と名づけて 弟子の孝順尼(19歳)とともに9月中旬頃に移り住んだ

不求庵では 時々 山田静里らの風流人が集まって 歌会を催したので 貞心尼の身近には平和な日がつづいた

そして 安政6年(1859=貞心尼62歳)5月14日、長岡荒屋敷町高野治郎兵衛の娘で 常福寺広寛禅師の実家の生まれの智譲尼が8歳で弟子となった 同年12月8日 剃度師であった泰禅和尚が示寂された

貞心尼はここで没するまで22年間住み 明治5年2月11日 午前2時過ぎ 静かにこの世を去っていった 75歳であった

病の床についてから 死期の近づいたのを知ったのか

 玉きはる 今はとなれば みだ仏と いふより外に 言の葉もなし
 あとは人 先は仏に 任せおく おのが心の うちは極楽

などと詠んでいる

辞世の歌は次のものである

 くるに似て かへるににたり おきつ波
   立居は風の ふくにまかせて
 

場 所
柏崎市西本町1-10-14