新設:2017-05-01
更新:2023-03-03
撮影:2011-05-21
三浦幸助の墓
- 案内板
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良寛ゆかりの三条文人 三浦屋幸助の墓
東裏館1-10ー3 定明寺境内
もの言はぬ 花にもの言ふ 墓の前 三幸
天保4年(1833)春 良寛さまの三周忌の法要が営まれた折 島崎の隆泉寺の良寛さまの墓前に俳人三浦屋幸助が手向けた句です
この句をよんだ翌年 幸助は他界し 三条の定明寺に葬られましたが その後 同家が加茂へ転居し墓も移されました
三浦屋の消息は 近年まで不明となっていましたが 昭和59年(1984)に子孫が新潟市に住み 加茂の墓は無縁同様になっていたことがわかりました 幸助が亡くなってから150年後のことでした
良寛さまを崇敬し 親しく交際を続けた市井の文人を追慕しようと 幸助の子孫の同意と かっての菩提寺の定明寺の好意で 三浦屋幸助追慕の会がここに移建したものです
平成2年3月24日
三条市地域住宅計画(ホーフ計画)運営協議会
- 場 所
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新潟県三条市東裏館1-10-3 (曹洞宗) 定明寺境内
- 移 建
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昭和59年(1984)9月
- 移建者
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三浦屋幸助追慕の会
- 参 考
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サイト野島出版「三条の良寛さま」
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