碑 面 己之能宇美 能處見 能宇良能 乃利遠衣八 和計轉堂萬王礼 以 萬奈良春東毛 十一月四日 良寛 読 み こしのうみ のぞみのうらの のりをえば わけてたまはれ いまならずとも 十一月四日 良寛 越の海 野積の浦の 海苔を得ば 分けて賜はれ いまならずとも 十一月四日 良寛 補 足 良寛は 寺泊海岸に住む妹「むら」から 好物の海苔をしばしば贈られていた 妹「むら」が病に伏したときに はやく良くなって 野積の海苔を贈って欲しいと 励ますために歌を詠み 書簡として送ったのではといわれている 「野積」は 古くは「のぞうみ」とよばれ 「のぞみ」になったという 場 所 新潟県長岡市寺泊野積 立岩(巌)/太子岩前 国道402号(越後七浦シーサイドライン)沿い 筆 者 良寛 建 碑 昭和49年(1974)11月4日 建碑者 寺泊良寛会 参 考 「定本良寛全集」2-0362(3首連記作品の内他2首)*2-0361 *2-0363 「いしぶみ良寛」正-21-P086_089 新潟県のサイト「良寛たずね道八十八ヶ所巡り」 案内板 中部北陸自然歩道 立岩(たていわ)(…沖へ延びる海岸線) 野積海水浴場のシンボルとして ドライバーの格好の目印になっている「立岩」は その昔 海の中にあったものが 信濃川の堆積作用によって 陸上のものとなったと伝えられる「枕状溶岩」です 大正12年(1922)に 大河津分水路に初めて通水がされるまでは 野積集落付近の海岸線は 立岩あたりにあり 当時の野積集落では漁業や製塩が盛んに行われていました 沖合で漁をする人々にとって立岩は 舟を操る際の目印にもなっていました 大河津分水路の完成にともない 河口より流出する土砂により 海岸線は年々沖合に向かって進行し 多い所では約700~800mも伸びています 砂地を利用した開田事業などが進められていますが 冬期の季節風による飛砂害も深刻な問題で クロマツを植栽した防災林が整備されています 環境省 新潟県