良寛だより 全国良寛会会報「良寬だより」第156号 P12_13 竹内登著「大森子陽と大森家の謎を探る」に 次のとおり記されていたので 早速 訪問し 墓碑の写真を撮った 十、新たな大森家の墓を発見する 犬塚剛史氏の書簡の中で萬福寺山田寛悟師の話として、大森家の菩提寺は和島北野の浄善寺である。と書かれていた。その後、浄善寺を訪問し、裏山の墓所を確認した。台座から落下した卵形の自然石に大森墓と刻字された墓を発見する。無縁仏で分からなかったとのこと。 後の調査で幕末頃の建立と思われる。又明治初期には萬福寺は浄善寺住職が兼務していた。萬福寺、浄善寺ともに須坂の勝善寺末である。 場 所 新潟県長岡市和島北野1341 (浄土真宗大谷派) 浄善寺境内 参 考 全国良寛会会報「良寬だより」第156号(平成29年4月1日号) P12_13 竹内登著「大森子陽と大森家の謎を探る」