碑 面 回首七十有余年 人間是非飽看破 往来跡幽深夜雪 一炷線香古窓前 平成三年春録 良寛上人詩 蒼竹 読下し 首を回らせば七十有余年 人間の是非は看破に飽く 往来の跡は幽かなり深夜の雪 一炷の線香 古窓の前 平成3年春 良寛上人の詩を録す 蒼竹 解 説(柳田聖山) 柳田聖山(1922-2006)著「良寛 漢詩で読む生涯」2000年 日本放送協会刊からの引用です 辞世の詩は 円通寺10年をみごと鮮やかにしめくくります こちらは 自ら「草庵雪夜の作」と題しています 首(こうべ)を回(めぐ)らせば七十有余年 人間(じんかん)の是非 看破に飽(あ)く 往来の跡は幽なり 深夜の雪 一炷(いっしゅ)の線香 古(こ)匆(そう)の下(もと) 草庵とは 『法華経』に出てくる 有名な放蕩息子の譬えですが 解説すると 親爺にそむいて他国を放浪し 食いつめて家に帰った息子を 父親は心を込めて導くのですが 息子はすでに父の顔も 父の家も忘れるほど落ち込んでいて 今も放蕩の途中なのです 息子は隙をみて逃げ出す それほどに疲れています 可哀想な息子のために 父が作ってくれた仮の宿 それが門前の草庵だったのです 父は息子を一時至近の草庵に置き 少しずつ豊かな生活に慣れさせて そしてやがて父の屋敷の生活に とけ込ませます 父とは仏をさし 息子は衆生を意味するという譬え話です 越後に帰った良寛は そんな草庵で最後を迎えます 降りしきる深夜の雪に 草庵はすっぽりと埋まっている 入ることも出ることもできない 部屋の中には今 1本の線香が赤々と燃えている やがて静かに燃え尽きるのです あらためて 生涯のことをふり返ると 自分のことを含めて 世の中のよしあしを 嫌というほど見尽くした 「首を回らせば」という詩を 晩年の良寛は幾首も作りますが 「草庵雪夜」はいかにも最後の作です 悲しいこと 楽しいことだけでなく さまざまなトラブルがあって それが今 二度とくり返しのきかない 草庵の中に閉じ込められています 「往来の跡は幽かなり」の「幽」は有名な『寒山詩』をふまえて 白雲が幽石を抱くところ 消し去ることのできない 深い足あとで それが雪の下に隠れています 最後の時を刻む 1本の線香が燃えつづけています 一炷(いっしゅ)というのは 中国でも日本でも 昔は時間を計るのに使った 線香1本分が燃え切るのにかかる長さで 短くて30分 長いのは45分 禅堂で坐禅の長さを計るのは 申すまでもありませんが 遊郭に客があがると 床に立てる約束の時間表示でもありました 燃えてしまったらおしまいという 妙にはかない無常観よりも 短く限られた一定の時間 カッカと燃えあがる生命を表す線香 そんな不思議な醒めた目が 一炷の火にそそがれているのです 古(こ)匆(そう)というのは 古ぼけた窓のことです 文字通り草庵のあかり窓ととってよいのですが 窓はまた私たちの六根で 目とか耳とか鼻という感覚器官を意味します 内と外の出入り口です すでにもうボロボロ 私たち肉体の門で いってみれば粗大ゴミのようなものでしょう そのすぐそばで 線香が燃えているのです 「匆」という漢字は さらに「惣」に通じて 一切すべて いろいろとあったトラブルのすべてでしょう それが皆燃えあがって消えるのです 『法華経』には 「薪尽きて火の滅する如し」とあります ついでに申しますと 鴨長明は『方丈記』の最後に 次のように書いています ここに六十の露消えがたに及びて・・・・ 旅人の一夜の宿をつくり 老いたる蚕の繭を営むがごとし 蚕の繭は 自分の作った繭の中で死んでいく蚕のことで 仏典にある譬えですが 良寛の一炷の線香は 玉島円通寺以来 片時も怠ることのなかった坐禅と 『法華経』の仏伝をふまえています 生涯七十有余年 多くの友人たちと共に生きた 短くて長い一炷の 総括だったのかもしれません 場 所 新潟県長岡市島崎5551 歴史民俗資料館 前庭 左(東)側奥 筆 者 蒼竹 江川清 建 碑 平成3年(1991)春 建碑者 北越銀行 参 考 「定本良寛全集」*1-642 「いしぶみ良寛」続-26-056_057