碑 面 墓碑銘は 中央に大きく 良寛禅師墓 右に良寛漢詩「僧伽」 左に良寛旋頭歌「やまたづの」が刻され 左隅に「天保二年正月六日謹辰 従孫橘泰世 拜書」が刻まれている 以下 「良寛禅師墓」の手前に設置されていた墓碑銘の案内板の内容を記す 【墓碑の右側に刻された良寛漢詩「僧伽」の白文と読下し】 僧伽 落髪為僧迦 髪を落として僧迦と為り 乞食聊養素 食を乞うていささか素を養ふ 自見已如此 自ら見るすでに此の如し 如何不省悟 如何か省悟せざらんや 我見出家児 我れ出家の児を見るに 昼夜浪喚呼 昼夜みだりに喚呼して 祗為口腹故 ただ口腹の故に為す 一生外辺騖 一生外辺を騖(はしる) 白衣無道心 白衣にして道心なきは 猶尚是可恕 猶尚是れ恕すべし 出家無道心 出家にして道心なきは 如之何其汚 之れ其汚(けがれたる)を如何せん 髪断三界愛 髪は三界の愛を断ち 衣壊有相色 衣は有相の色を壊(やぶ)る 棄恩入無為 恩を棄てて無為に入る 是非等閑作 是れ等閑の作(しわざ)に非ず 我適彼朝野 我彼の朝野を適(い)くに 士女各有作 士女おのおのなすあり 不織何以衣 織らずんば何(なに)を以てか衣(き) 不耕何以哺 耕さずんば何(なに)を以てか哺(くら)はん 今弥釈氏子 今釈氏の子と称して 無行亦無悟 行も無く亦悟もなし 徒費檀越施 徒らに檀越の施を費して 三業不相顧 三業相顧みず 聚頭打大話 頭をあつめて大語をたたき 因循度旦暮 因循して旦暮をわたる 外面逞殊勝 外面は殊勝を逞しうして 迷他田野嫗 他の田野の嫗(をうな)を迷はす 謂言好箇手 謂ならばわれ好箇手と 吁嗟何日寤 ああ何れの日にか寤(さ)めん 縦入乳虎隊 たとえ乳虎の隊に入るとも 勿践名利路 名利の路を践むこと勿れ 名利纔入心 名利わずかに心に入れば 海水亦難澍 海水も亦そそぎ難し 阿爺自度爾 阿爺なんじを度してより 暁夜阿所作 暁夜何のなす所ぞ 焼香請佛神 香を焼いて佛神に請ひ 永願道心固 永く道心の固きを願えり 似爾如今日 なんじが今日の如きに似なば 乃無不抵梧 すなわち抵梧せざるなからんや 三界如客舎 三界は客舎の如く 人命似朝露 人命は朝露に似たり 好時常易失 好時は常に失易く 正法亦難遇 正法亦遇い難し 須著精彩好 須らく精彩をつけて好かるべし 毋待換手呼 手を換へて呼ぶを待つこと毋(なか)れ 今我苦口説 今我れ苦(ねんごろ)に口説するも 竟非好心作 竟(つひ)に好心の作に非ず 自今熟思量 今より熟(つらつら)思量して 可改汝其度 汝が其度を改む可し 勉哉後世子 勉めよや後世子 莫自遺懼怖 自らく懼怖(くふ)を遺すこと莫(なか)れ 【墓碑の左側に刻された良寛旋頭歌「やまたづの」】 国上のいほりにいました時 やまたつの むかひの丘に 小男鹿立てり 神な月 しくれの雨に ぬれつゝたてり 場 所 新潟県長岡市島崎4709 (浄土真宗本願寺派) 隆泉寺 筆 者 橘泰世(良寛の弟・由之の孫) 建 碑 天保4年(1833)3月 建碑者 良寛弟由之従孫泰世 木村元右エ門 山田太郎兵衛 富取武左エ門 斉藤伊右エ門 原田正貞らが 広く浄財を集めて建立 参 考 「定本良寛全集」*1-390 2-0058 2-0074 2-0311 2-0422 「いしぶみ良寛」正-43-158_161