碑 面 志(し)ほの理(り)能(の)さ可(か)波(は) 奈(な)のみ爾(に)奈(な)利(り)耳(に)け利(り) 由(ゆ)久(く)ひ東(と)志(し)ぬ弊(へ) 与(よ)呂(ろ)川(つ)餘(よ)まて耳(に) 読 み 塩之入の 坂は名のみに なりけり 行く人しぬべ よろづ代までに 案内板 塩之入歌碑 良寛の父以南は 与板の割元庄屋新木家の出身である 与板は良寛にとって父のふる里であり 親戚や友人も多く しばしば訪れていた 晩年 島崎に寓居してからは 与板に庵を結んだ弟の由之とは 毎日でも会って老境の身を語り合い慰めあっていたかったのであろう 与板へ来るに年老いた良寛には 塩之入峠が大変な難所であったことは 数首の歌に託されている 藩公の配慮によって この峠が改修され 往き来が容易になったことから 良寛は 喜びを長歌に託して感謝の心を詠んだ その長歌の末尾の短歌は 次のとおりである 志(し)ほの理(り)能(の)さ可(か)波(は) 奈(な)のみ尓(に)奈(な)利(り)耳(に)け利(り) 由(ゆ)久(く)ひ東(と)志(し)ぬ弊(へ) よ呂(ろ)川(つ)餘(よ)まて耳(に) この短歌を 昭和25年 与板町有志が 良寛120回忌を記念して石に刻したものである 場 所 新潟県長岡市本与板 塩之入隧道東出口 路線バス停「良寛歌碑」傍 筆 者 良寛 建 碑 昭和25年(1950)10月8日 建碑者 与板町有志(良寛120回忌記念として) 良寛歌碑と石柱「史蹟 良寛和尚記念之地」との間に 10名ほどの建碑関係者名を刻んだ小さな脇碑が置かれているが 一部しか読めない 参 考 「定本良寛全集」2-1300 「いしぶみ良寛」正-48-176_179