碑 面 (碑上部扇形内) いはむろの たなかのまつは まちぬらし わをまちぬらし たなかのまつは 釈良寛書 (碑下部) 師来有何意 飛錫 留高蹤 傍人問不答 笑指一株松 読良寛禅師歌題後 翠雲道人 読 み (碑上部扇形内) 岩室の 田中の松は 待ちぬらし 我を待ちぬらし 田中の松は 釈良寛書 (碑下部) 師の来れるは何の意か有る 錫を飛ばして高蹤を留む 傍人問えども答へず 笑って指す一株の松 良寛禅師の歌を読み後に題す 翠雲道人 補 足 碑面の内容は 岩室温泉の丸小山公園の歌碑と同じもの なぜ 石瀬と丸小山の相互に近い所に 同等の歌碑があるのか 次の事情によるものという 2つの碑の建立者(スポンサー)である医師高島彪雄は渡満の折 今の敵見の松の所に 田中の松歌碑を作るよう言い置いて行ったそうです それが どういう訳か丸小山に建てられてしまった そこで敵見の松の所に再度建立した 当時のリーダー(岩室の高島幸蔵らと石瀬の渡辺代太郎ら)の対立が背景にあったためではと思われるという 良寛は 次の歌も詠んでいる 石瀬なる 田中に立てる 一つ松 しぐれの雨に 濡れつつ立てり 場 所 新潟県西蒲区石瀬 矢川放水路 南側 / 西蒲バラ園 近傍 筆 者 歌 : 良寛 題跋 : 小室翠雲(東京の南画家で 昭和10年頃岩室温泉に逗留し 南画グループを指導したという) 建 碑 昭和12年(1937)頃 建碑者 高島彪雄 参 考 「定本良寛全集」2-0785 「いしぶみ良寛」正-14-056_059 岩室良寛会編 岩室温泉観光協会刊「良寛さんと岩室 ガイドブック」 岩室良寛会編 岩室温泉観光協会刊「岩室の良寛史跡探訪」