良寛長歌「月の兎」に因みウサギの右向き画像
ロゴ 良寛さまのゆかり
良寛長歌「月の兎」に因みウサギの左向き画像
文京区本郷6丁目
良寛遺墨碑「天上大風」
新設:2017-05-01
良寛遺墨碑「天上大風」(戦没学生追悼碑)
撮影:2010-09-18

良寛遺墨「天上大風」を大きく刻んだ
東京大学戦没同窓生之碑
左隣は書店「第一書房」

東京大学戦没同窓生之碑は
マンション「モンテベルデ東大前」の
導入路入口左側に建っている


東京大学医学部戦没同窓生之碑
撮影:2013-10-20

地名「弥生」の由来

碑 面
東京大学戦没同窓生之碑
  天上大風
         良寛書

脇碑面
 東京大学戦没同窓生の碑
昭和6年(1931)から昭和20年(1945)まで15年(満州事変 日中戦争 太平洋戦争)にわたる戦争で東京大学も多数の戦没者を出したが戦後50年のあいだその実数は不明のままであった
このたび大学による学徒出陣の調査が行われ1,700人近い戦没者が明らかになったが その実数は2,500人にも達すると推定されている
私たち医学部卒業生有志はこの事実に驚き 悲しみ 世紀がが変わる前に追悼の碑を建ててこの事実を後世に伝えるべく追悼基金を組織した
この「東京大学戦没同窓生之碑」は 大学正門前のこの地にお住みの方々から温かいお心をいただいて建立が可能になり 同窓生あい集って建立するものである
「避けがたい状況の下に 愛する人々のために一命を捧げた」若者たちのいたましくも悲しい事実を歴史に刻む碑であって 戦没同窓生への深い思いを「天上大風」という良寛の言葉に託した
今世紀最後の東京大学5月祭初日の今日 ここに同志あい集ってこの碑を建立し音楽と花を捧げ深い哀悼を世に伝えるものである
    平成12年5月27日
                   医学部戦没同窓生追悼基金

場 所
東京都文京区本郷6-10-2
建 碑
平成12年(2000)5月27日
建碑者
医学部戦歿同窓生追悼基金

関連碑
東大弥生門近く弥生美術館・竹久夢二美術館(文京区弥生2-4-2・3)
の右隣民家石塀に「東京大学医学部戦没同窓生之碑」が嵌め込みされている
2013年10月20日(日)午後 冷たい雨が降りしきる中 同碑を訪ね
写真を撮った 左脇に添えられた碑文は次項以降のとおり
なお レリーフ像の左右に戦歿同窓生の氏名と戦歿地が刻されている

関連碑面
東京大学医学部戦歿同窓生の碑
昭和6年(1931)から昭和20年(1945)まで15年にわたる戦争(満州事変 日中戦争 太平洋戦争)で東京大学医学部は同窓生の中から200人を越える多数の戦没者を出した 彼らの多くはアリューシャン列島アッツ島からニューギニア ガダルカナル島 中国 東南アジア 沖縄に拡がった戦火の中で また広島・長崎で医療従事中に原子爆弾の劫火に斃れた
私たち医学部卒業生有志はこの事実を悲しみ これを後世に伝えるべく 基金を組織して戦没者と戦没地の調査を行い 同窓会鉄門倶楽部に医学部構内への追悼碑建設を提案した 同倶楽部はこの事業の実行を決議して医学部教授会の承認を求めたが 未だその採決に至らず いまや戦没世代同窓生は碑の完成を見ることなく世を去ろうとしている
この「東京大学医学部戦没同窓生の碑」は 戦後最初の総長南原繁先生の戦没学徒哀悼の志を承け この地にお住まいの鹿野家の皆様から温かいお心をいただいて建立するに至ったのであって 避けがたい状況下に 愛する人々のために一命を捧げた若者たちのいたましくも悲しい事実を歴史に刻む碑である 私たちは戦没同窓生への思いを戦いに斃れた友を担って母校に帰り来る学友の群像に託し 近い将来同窓会鉄門倶楽部の決議が実行され この碑が医学部構内に移築されることを期している
新世紀最初の東京大学五月祭の今日 ここに同志あい集ってこの碑を建立し 音楽と花を捧げて深い哀悼を世に伝える
  平成13年5月27日
               東京大学医学部戦没同窓生追悼基金

関連碑建碑
平成13年(2001)5月27日
関連碑建碑者
東京大学医学部鉄門倶楽部有志
関連碑場所
東京都文京区弥生2-4-1