案 内 良寛像「良寛さま」が 本堂の左手前に 十一面観世音菩薩像と並んで建っている 良寛像は 目の位置によって 表情がいろいろと違って感じられる その良寛像の台座左側面に刻されている「良寛さま像」建立趣旨を 次項で紹介する なお 良寛の辞世「形見とて」は 別ページを訪ねて下さい 建立趣意 良寛さまの略歴と辞世 1758年(宝暦8年) 越後国出雲崎の名主橘屋山本家に生まれる 幼名は栄蔵 のち文孝 1775年(安永4年) 18歳の時 曹洞宗光照寺玄乗破了和尚のもとで参禅 1779年(安永8年) 国仙和尚に従い得度 良寛と名乗り 大愚と号す 備中玉島円通寺で修行 1796年(寛政8年) 39歳の時 越後に帰り 以後 国上の五合庵・乙子神社草庵に30年間定住 1831年(天保2年) 越後国三島郡和島村島崎の能登屋庵室にて遷化 74歳 【辞世】 形見とて 何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉 龍海院との関係 1847年(弘化4年) 後に当山に住持することとなる謙巌蔵雲禅師が越後国を巡錫中 良寛さまの遺稿を見て感銘を受け その詩集の発刊を思い立った その後 貞心尼などの助力を得ながら 1867年(慶応3年) 良寛さまの漢詩50編を集めて『良寛道人遺稿』と題し 江戸の尚古堂より版本で頒布したが これによって一躍良寛さまの名が全国に広まることになった 遺稿の最初に掲載された良寛肖像は 貞心尼が越後国北魚沼郡小出の画家雪堂に依頼して描かれたものであり もっともよく良寛さまの風貌を伝えていると言われているが 本像もこの良寛肖像を基に作られたものである なお 謙巖蔵雲禅師は 第29世住職として13年間 当山に住持し1869年(明治2年) 57歳で示寂した 今ここに 生涯を清貧孤独に徹した良寛さまの人柄を偲び 併せて蔵雲禅師の偉業を後世に伝えるため 本像を建立した 平成15年8月吉祥日 龍海院第37世 龍璋一雄 合掌 場 所 群馬県前橋市紅雲町2-8-15 (曹洞宗) 大珠山是字寺龍海院境内